2014 年 1 月 のアーカイブ

<<心の世界>>自己表現・主張できない人たち

2014 年 1 月 30 日 木曜日

   自分の思った事、考えたことを人前で話せない人達が、沢山と見受けられます。

  ① 眼前の人に対して、1対1では気楽に話せるが、大勢の前では話せないという人達は本当に多いものです。
この場合では、それなりに、人間社会を生きていけます。
この様な人達は職員として、会社や企業で働いていても、出世前までの仕事では何とか働けるのです。
  しかし、長く真面目(一見、真面目そうに見えるだけ・・)に勤めていると・・・、
どうしても年齢的に次第に部下もできるし、上役となっていきます。
出世する程に、部下に話したり教えたり、人前で話をする機会が増えてくる訳です。
だんだんと、ストレスが増えてきます。
そういう状況になり現場で働いていますと、必ず悩みますね。
心が緊張してくるので、不安になり、緊張が強くなると、パニックとなり、自分が何を考えているのか分からない状態になってしまいます。
時には、失神して倒れることもあります。
そうなりますと、残るは、会社で働くのを辞めるしか道は残されていません。
迷いが強くなってしまった場合は、辞職願も出さず、その日に会社を辞めてしまう場合もあるでしょう。

  ② 最近では、1対1の人間関係でも、全く話をするのが苦手だという状態の人達が増えました。
このような方達は、勿論、大勢の前では、絶対に話すことが出来ないでしょう。
この場合では、人との交流が成立しません。
環境と言えども、必ず、環境にも人の影(人、人の心)はついて回るので、社会適応は出来ません。
劣等感も強大となり、心も体も自分の思う通りにはなりません。
人間社会を生きるには、とてもではないが無理です。
人の前に出られないと、{引きこもり}になります。
{引きこもり}のまま、長期間続けば、ますますと{劣等感}などの心が強大となり、
様々な問題や事件が、発生することにもなる場合があります。
何時までも{引きこもり}を継続するだけで、事件が起こらないと良いのですが・・・。
でも、{引きこもり}が続くだけでも大変です。

{フリーター}など、定職を持たず、また、職を転々とするのも、彼等は自分達が
心の対人関係を適度に成立しえないのを、知っています。
何時でも仕事を辞められる条件を、持っていたいのです。

また、全く職に就かない、外には出るが、全く社会的に生産性がないと言いますか、{ニート}と最近呼ばれている人達も、つまるところ、自分以外の他者、母と父を含めて、心の交流が上手に成立しないのです。

  ③ 人とのコミュニケーションが、1対1、大勢の前でも可能な人は、立派です。
唯、見せ掛けだけが、立派に見えても{その人の中身}が違う場合もあります。
所謂、他者に知られないように、化けて生きているのです。
でも、心の有能な人が、その化けた人を見れば、結構と分かります。
常識を逸脱した会話や態度が、見えるものです。
昔から、「物言わぬは、腹膨るる」と言います。
物を言っても、言葉で人を傷つけないことです。
人との対話、又、皆の前で話が出来るような人になりましょう。

心理療法で、こころの中のカラクリを知ることで、こころの操作ができるようになるでしょう。
(心の中のカラクリ=心理療法の適応)です。

<<心の世界>>自尊心・他尊心

2014 年 1 月 28 日 火曜日

  「自尊心」は、心理療法の中でも、よく使われる言葉です。
一般の人も含めて、心理療法に関わる人達までが・・・「自尊心」は、大切にしないといけません。
「自尊心」を、自分を大切にする心を持たなければいけないなどと、よく言われます。
そのように、「自尊心」を解釈している人達は、究極的に{人の病む心}が見えていない人とも言えます。

  自分の心と体を大切にする思いは、本当に重要です。
確かに人が人生を生きるには、自分を中心としたうえで{世の中を見る}ことが必要なのでしょうが・・・、しっかりと考えてみると、実際には違うことにもなります。
自分が中心と考え、自分を中心にして、{世界が回る}と思っては大変な誤解が生じます。

  「自尊心」よりも「他尊心」の方がはるかに大事なのです。
自分を大切にすることは・・・・、他人から、{自分を大切にしてもらいたいなどの心も生じてきます。
  「他尊心」、昔からの言葉がありますね。
  「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言います。
また、昔のお住職さんですが「捨てて、捨てて、捨てて」などと言った方(一遍さんでしたね)もおられましたね。

自分の抱えているものを、全て捨ててしまうという意味かと感じます。
体を捨てて死んでしまうのとは違います。
{拘り・執着}などを捨てましょう、気持ちが楽になるということです。

  常に、人間は自分の好みで、他人や環境に拘らないと{気がすまない}でしょう。
自分の持ち物を(執着ゆえに)捨てきれないのです。
{悩む心、執着する心、拘る心}などを、捨てきれません。悲しいです。
拘らなければ、{死ぬことも怖くない}と言います。
人間の一生では、{終末と滅}が必ず訪れてきます。
ですが、人間は悲しいことに{自分の死}を、なかなか受け入れることが出来ない生き物ですね。

  仏教観の中には、「無常観」を問い詰めることが大切だと教えていますが、こんな簡単なことを理解できません。自分が、此の世から必ず消えていく存在であると悟れると良いのですが、体得は出来ません。究極的には、自分の全ての持ち物を置き去って{黄泉の浄土}に行きます。
悩みは、何処から来るのかと考えてみれば、分かるはずなのですが、悩みの原点を見つめようとしませんね。

 自分の心、とくに{拘る心・執着する心}を、捨てきれません。
 とことん考えると、「自尊心」を大切にしすぎています。
 時には、他者への奉仕の心を持てる人であって欲しいものです。

  特に、「欲望の心」を自分で適度にコントロールできるかどうかが分かれ目でしょう。
自分の執着心を捨てて、捨てたところから自分が浮き上がってきますが、捨てた人でないと分かりませんね。

「他尊心」他者を尊敬、他者の助言を受け入れられる人になりたいものです。

  「インターネット心理療法」では、悩まない人となるために、この人生で{如何に自分の執着心を捨てて、自分の心を回復させるか}を勉強するのが目的でもあります。
執着する・拘るこころを捨てられたら、どんなに{心は束縛から解放されて自由になれる}のかが分かるでしょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り3

2014 年 1 月 23 日 木曜日

  両親の因縁で、人はこの世に誕生して来ます。
人間の生き様とは、人により色々様々と違うものです。
この違いは、主として{生い立ち}の中で、育まれているものです。

  生れながらにして、子供が気づいた時には、片方の親、或いは、両親の顔も姿も見えない場合もあります。両親が生きていても、生き別れもあります。
運悪く、両親などが不遇に出会い、戦争やあるいは病気による死に別れもあります。
  どちらにしても、親の顔を知らないで大人になると、人は心の底に{空しさ}や{空洞感}を引きづるものなのです。
ですが、親が生きていれば、子供は、{幸せか}?と問われれば「NO」です。

  親の子育てが、子供の一生の{運命}を決定する場合が多々あります。
これは、事実です。
子供は、親の姿を見ながら、心も体も成長していきます。
  親の子育てに、問題が有ると、子供の心・精神にも問題が発生します。
遺伝による場合は、例外としておきます。
親の態度が同じでも、時代の背景によって、子供が、親の行動や会話や心を受け止める精神状態は全くと異なります。
心理療法を体験した人でないと、理解できないかもしれません。

  人間の皆が貧乏な状況では、子供達もハングリー精神があるので、働く親の姿を見るだけで、案外と子どもは育つものです。  
子供は「親の背中を、見て育つ」ものです。
  ですが、日本の現在社会では、「豊かさは、人の心を迷わせる」という言葉があるように、大人も子供達も、一緒になって、見せかけの豊かさに惑わされて、裕福だと錯覚しているのです。
今の日本の第二次世界大戦の時代と終戦後の時代を比較すると、物質的には凄く豊かになっています。欧米は、更に、日本以上でもありましょう。

  人間の心は自由でなければいけないと、どこまでも、自分の思いが自由だと、自己主張して、受け入れられないと、すぐさま心の不満となって現れて怒ります。
  如何なる時代であれ、人間が此の世で人生を生きることについては、究極的には{自由はあり得ない}はずでありましょう。
法律や規制や柵などがあるのですから。

  いつの時代でも、人が人生での社会生活を過ごすには、食欲・性欲・睡眠欲・名誉欲・金銭欲など、持ち続けながら生きているものです。
どんなに細かく見つめても、このような欲望に人はとりつかれているものです。
 人は常に、自分の欲しいものを追い求めるか、自分に都合の良い環境を追い求めます。
そこには、必ず{執着する心}{拘るこころ}{差別する心}{分別する心}{偏る心}{とらわれる心}が湧いて来るのです。

  そう、「青い鳥」「心の灯り」を自分の外側に追い求める。
見つからないと言いながら、あちらこちらと、這いずり回って探し続けるのです。
確かに、自分の欲しいものを追いかけていますが、何時までも見つからないでしょう。
  真実に人が求めている物、すなわち「青い鳥」は自分の心の中にしか居ません。
  「心の灯りは」自分の心の中にしかありません。

「青い鳥」「心の灯り」とは、自分の心の力量を知ることであり、これが最重要なのです。
そんな自分の心を知ることが出来れば、きっと幸せになれる筈です。
自分の過去を振り返り、『本当の自己』を知りましょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り2

2014 年 1 月 21 日 火曜日

  「インターネット心理療法」では、とにかく、人が人生を歩む過程で、悩まないで生きることに、重点を置いているところです。
  悩んでいる方達、いや、有頂天の気持ちになっている方達もそうでありますが、他者の意見をうけいれないのが、最大の弱点でもありましょう。
人間は、普通のつもりで生きている人達も、人の意見をなかなか受け入れないものですね。

  悩み苦しみ、各種神経症、うつ病、躁病、その他、若い人達の登校拒否、摂食障害(拒食・過食)、引きこもり、ニート、フリーター、非行、シンナー、ストーカー、年配者のアルコール依存、統合失調症の人格脆弱性、諸々の肉体的(器質的)病気にしても、ここに挙げたすべての事柄は、根元的に、心が肉体にとらわれる{心の問題}ですね。

  よく考えますと・・・・・、人は、自分の周囲や外側に、自分の心を癒すものなどを追い求めています。
  即ち「青い鳥」や「心の灯」を一生懸命に探し求めています。
人間、生まれてきた以上は、自分の体と心の外側に{何かを求めて生きる}のが、宿命かもしれません。

  上記しましたように・・・・・、自分にとって都合の良いものを得たいし、又、都合の良い環境を求めます。
そういう生き方が、人間の現実的な生き方であります。
そこには、拘り、執着し、自分の心が{あるものに捕らわれて}苦しみます。
  外観的な生き方ですね。しっかりと人間学を勉強しておかないと、悩むし、心の病気にも取りつかれることになります。
心が、苦しみ悩み「蟻地獄」・「暗いトンネル」・「大きな岩石の下敷き」状態から抜け出せないことになります。

  適当な状態で、人は自分の欲望を制限する能力・力量も必要ですね。
これ以上を求めれば、自分の心と体に無理を来すなど、適度に自分の欲望を知っておかねばなりませんし、
これ以上を求めれば・・・、自分の心が壊れてしまうなど、{自分の心の状態を知る事}なのです。

  「心の灯り」・「青い鳥」は自分の外側にあるのではありません。
それらは、自分の心と体の中にしかないのです。
人は、漠然と自分の欲望だけを肥大化させて、自分の外側にいろいろな物・環境などを求めます。
  しっかりと、自分を見つめないと分かりませんよ。
自分がどんなに欲しいと求めても、自分の実力と技量以上の物を求めても、自分の手には入らないものです。 
本当の自分の欲望を知ることです。

  ここで、少しながら、{仏教観}を借ります。
『四苦八苦』という言葉があります。結構と、会社の社長さん方も知っておられません。
是非とも確認して知っておいてくださいませ。
四苦とは、{誕生して生きる}、{老いる}、{病気}、{死ぬ}です。所謂、生老病死です。
残りの四苦は、愛する者との生き別れや死に別れ、求めても手に入らない、自分の側には嫌いな人が1人や2人はいる、あれが欲しいこれが欲しいなど煩悩ですね。
「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五蘊盛苦」です。

  本当の自己を発見し、目覚めると「四苦八苦」をも受け入れる力が出来上がるかも知れませんよ。全部を受け入れるには、本当の人間学の学習・勉強が必要でしょう。
人生を生きるには、拒絶せず、全てを受け入れることも大切です。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り1

2014 年 1 月 20 日 月曜日

  人は、誰しも、「青い鳥」・「心の灯り」を求めて生きています。
自分の「好きな事」「嫌いな物」「好きな人」「好きな事象」など、漠然としていても、常にそれを求めて生きているものです。
  優越感、見栄、虚栄心、おごり、自惚れ、称賛、金銭、名誉、などを求めて日常生活を送っているものです。
そうですね、時には、心の底から支えてくれる人を探し求めたり、好きな異性{男性・女性}を探し求めています。

  簡単に表現すれば、やはり、心の問題になります。
自分の心が、どんな形で自分の心の底にあるのかを、確認することが必要です。
  本当の自分、真実なる自分を理解できていれば、人間は悩まないものです
自分の実力や力量を知らないで、色々な事柄を求め過ぎるので、悩みや苦しみは起こってきます。

  世の中の人達は、しばしばと言いますね。「夢」・「理想」を持ってくださいと。
しかし、夢や理想を、あまり持たないで欲しいと考えます。
何故ならば「夢」は壊れるからです。
  でも、人間が生きる{目的意識}だけは、絶対に持ってくださいね。
苦しみ悩んでいる人達は、{{自分は一体何を考えているのか分からない}}というのです。・・・・・勿論その通りです。
何を考えているのか、そして、その考えている事柄が、自分にできる事柄か、どうかを確認しておかないと、悩み続けることになります。

  悩み苦しみ、神経症、心身症、うつ病、躁病、アルコール依存、その他、諸々の苦しみなど、全ては、自分にできない事柄を考えているのですね。
出来ない事柄は、出来ないのだと、自分の心を明確にして、心をしっかりと固めて、人生を歩けば何も悩みや苦しみは起こらない筈です。
  今、自分が一番に欲しいものは「何か」を、知っておいてほしいですね。
登校拒否、非行、いじめ、暴力、虐待、犯罪、などは、人の心の{欲求不満}が生じさせるものです。
人は自分の心を満足させる能力、幸せだと感じる能力を持つことが必要です。

  心の根源を考えますと・・・・・、心の形というか、心・性格・人格の形成、生い立ちの心に遡るのです。
「三つ子の魂、百までも」、「親の因果が、子に報い」などと言います。
人はこの世に誕生して成長する過程で、母・父・自分を育てた人達・自分の側を通り過ぎた人達・周囲の環境・貧乏・裕福・諸々の問題があります。
  最大に重要なのは、親の心が子供に伝播していますので、子供が悩み苦しむ状況にある場合は、親の方が、しっかりと自分の生き様を点検するべきですね。
子供の異常会話・異常行動・異常な心は、親の育て方が問題です。

  親が、家族の中で「青い鳥」・「心の灯り」を何処に探し求めたかを、懸命に確認して欲しいと思います。祖父母~両親~子供達~孫たち~、誰が、どの時点で、心の間違いがあったかを確認して、{悪い因縁}を断ち切るかだけです。
問題を抱えたら、親も子供も、「心理療法を受けること」が絶対に必要でしょう。