‘家族・親子’ カテゴリーのアーカイブ

<<家族・親子>>親と子(続編)22

2010 年 3 月 24 日 水曜日

 悲しい家族、悲しい人間達の集団があるものです。

幼い時には、心も考え方も年齢的には、しっかりと見えるのに、成長するにつれて大人になってから{{心}}がバラケテ来る人達も居ます。

凄く早く精神的にも成長したように見える方達が、人格的に壊れて、人間世界で生きるには<<役立たない人>>になる場合もあるから、そんな時には大変です。

「「大人子供」」が自分の人生を一生懸命に生きてきた積もりなのでしょうが、自分で人生を如何に解釈するかが問題なのです、大人になってから歪な人格が顕著になってしまい、自分の人生を自分一人で解釈が出来ません。

自分の意志と自分の考え方では、人生の道を進めないのです。

 

 人間社会で生きるには、ある程度の年齢になると、親から独立した考え方でもって自分の意志で生きる事が必要です。

唯、唯、学問がどんなに「優秀」でも、人間同士の<<触れ合い>>が上手に出来なくて孤独に生きるしかない場合もあります。

寂しい自分の「孤独な人生」を、生きる事となります。

孤独な人生を、自分で変えたいと考えても如何ともし難いものです。

社会適応したくても、対人関係にて「共感」・「妥協」・「受容」などの感情も理解できずに、如何に相手と<<お付き合い>をするかが分からずに、「会話」とか「自分の行動」とかも、自分の「心」を知っていないので動かしようがありません。

 

 性格&人格的にも、社会適応が無理な場合と、更に、{{うつ病者}}にまでなって身動きできない場合もあります。

どんなに内服薬を続けても、気分の{浮き}と{沈み}を調整しようとするだけですから、自分の心の「「器」」は大きくなりません。

こんな場合も、両親から受けついだ遺伝的な場合は別として、生い立ちの過程で作られた人格の問題の場合では、可能な限り<<改善して>>おくのが重要でしょう。

{{うつ病}}は勿論のこと、{{統合失調}}の場合でも、親の「「心理療法」」がない限り、子供達〈大人も含めて〉は{{精神的な発達を得られない}でしょう。

親と子供達が一緒に、同じ「「心理療法」」を体験する事です。

 

 {{うつ病者}}の治療では、普通は一週間程度の当人のみの「「心理療法」」で人格矯正が可能ですが、あまりにも未熟な場合では絶対に親の「「心理療法」」が無ければ、元の職場に復帰する場合が無理の事もあります。

それほど、子供が20歳~30歳~40歳~50歳~60歳・・・なおの年齢でも、その{{うつ病者}}の親が生きていれば、親の「「心理療法」」が必要なケ―スもあります。

それほどに、親と子供達の{{心}}は、伝染病の如くに伝播しているものです。

どうぞ、勝手に子供が自分で作った{{うつ病}}だ、との認識を取り除いて下さいませ。

親が「「心理療法」」を体験すれば、子供達も治ります。 

<<家族・親子>>親と子(続編)21

2010 年 3 月 20 日 土曜日

 随分と「親と子」で、皆さんに知って欲しい事柄を述べてきましたが、少しの{{追加}}をしておきます。

年齢も重ねてきて<<大人に近づいてくれ>>ば、本来的には、自分が心の{{葛藤}}を抱えて悩み苦しむ場合では、自分で自分の道を切り開いていくべきです。

自分だけの努力で<<自分の道を開拓する>>のが困難であれば、「心理療法」を受ける事です。

その「心理療法」を体験する事で、自分の心の「器」が大きくなるから悩まない人間になれますし、また、{{うつ病}}などからも開放されていきます。

 

 育てられる過程で、人格水準が上手に発達していなければ、時折ですが、自分一人の「心理療法」だけでは、明確な人格矯正ができない場合も、たまに、見受けられます。

これには、明確な理由があって、自分一人の「心理療法」ではなかなか浮き上がられない人も、本当に時折ですが、見受けられます。

彼等は、体の見かけは大人ですが、心はあまりにも幼いものです。

普通は、「心理療法」を体験すれば、直ぐに、相手の人の事柄も考えてあげないと駄目なこと、幼稚だった自分に気づいて、瞬く間に、自分で自分の{{心}}を良い方へ変革させます。

けれども、相手の立場に立てない、相手の立場から自分の生き様を見る事ができない人が居ます。

 

 前述していますが、「「身代わり不可症候群」」と言いました。

本当に、「「身代わり」」、相手の立場に立つ、それだけなのです。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、人格が幼な過ぎて<<何処でも、自分が中心で、自分の立場からのみ物事を判断>>する、これしか出来ないのです。

面白いと言ってよいか、一部の人達は{{自分の過去の記憶がバラバラで、現在の自分の思考が、過去の自分と上手に繋がり}}ません。

こんな人間になってしまうのも、当方の長年の「「心理療法」」の中から了解できてきたものですが、「親の因果が、子に報う」の如く、正に、その通りです。

 

 ある意味では、親の子育ての問題が、絡んでいますので、親が十二分に「「心理療法」」を受けて、過去の事柄を回想して、<<過去の出来事や、過去の親との対話、その他について>>も、親と子供の「「過去の心のつながり=和解」」ができる事が必要です。

親と子供での間で{{互いの、過去の出来事などの、心がつながれ}}ば、子供達も素早く<<心の成長>>を見せます。

「「身代わり不可症候群」」、これしか表現ができない<<心の世界>>があります。

「「親の因果が、子に報い」」の言葉は、100%間違いありません。

子供が、自分で努力して自分の人生を生きるべきですが、出来ない子供達が居ますし、努力しても駄目な子供達では、親の参加しか有りません。

<<家族・親子>>親と子(続編)20

2010 年 3 月 17 日 水曜日

 この項で、一段落します。

要するに、親の考え方は、親の考え方で、一応でも、頭に入れておいて生きるのですが、その時に、親の考え方が絶対的に{正しい}と考えない事です。

親にも親の考え方に{間違い}が有ると、思っておいて欲しいのです。

時代も違うし、参考程度にしておいて、今の自分の時代には、もっと、別の考え方が有るのではないかと自分の{肝に命じて}おく事です。

しかし、自分が親の考え方は絶対に<<間違い>>だと考えても、自分の親に対しては、それなりに、親の「恩」と親への「感謝」を自分の心に溜め込んでおく事は重要です。

そうでないと親に対して、ともすれば反発して生きるしかありません。

 

 「深層心理」の中にて、親に対して{{反発心}}や{{拒絶感}}しか持たない子供達の心の中には常に安心感は有りません。

唯、唯、何時も不安に襲われて、現在の自分の周囲の人達にも直ぐに{反発心}が芽生えて、その瞳や顔や姿や言葉や行動なども落ち着かずに<<周囲の人達に>>何となく良い雰囲気を与えません。

その事柄は、周囲の人達に気づかれますので、自分を良く思ってくれません。

人間の生い立ちって、凄く怖いものです。

現在の自分をどんなに<<周囲の人達に良く見せよう>>と頑張っても、溢れ出る雰囲気は全く自分の理想とは反対に流れて行きます。

 

 周囲の人達から褒められたくても、顔を見られるだけで<<化けの皮が剥がれて>>しまいますから、誰も自分を褒めてくれません。

「「心の根っ子、人間への信頼関係」」は、親の子育てと、自分の生い立ちの心に根付いていますので、限りなく自分の過去に遡って自分の{{過去の心}}が真面目だったかを確認していく必要があります。

自分の過去の生い立ちから、自分の{{心}}を調べていくと簡単に自分が「善人」か「悪人」かの答えが直ぐに出て来ます。

そうする事によって、今の自分が真面目に生きているか、不真面目に生きているかを判定できます。

 

 過去の自分が、あまり真面目でなかったのに気づくと、現在の自分を再度の事、少しは真実に真面目に生きる事を考えるものです。

心の「反転」・「再生」・「回向」・「新生」・などなどを考えます。

時には、「至高体験」とか、幸いな場合では「神秘体験」を得るでありましょう。

凄く、他人には理解できない程の{{幸福体験}}{{至福体験}}を得ます。

誰に話しをしても、自分で「神秘体験」を得た事の体験のある人でないと、理解が困難な世界です。

「「インタ―ネット心理療法」」を体験して下さいませ。 

<<家族・親子>>親と子(続編)19

2010 年 3 月 15 日 月曜日

 ある年齢になれば、自分の親に頼らずに自分の人生を切り開いて生きるのが、普通でしょう。

親からの「超自我」が、自分達の心の記憶装置、過去の記憶装置の海馬に残っている場合では、少し注意が必要ですね。

当然、記憶は海馬に残りますが、子供達が親の「超自我」の受け止め方を、如何なる状態・状況で受け止めているかが、問題です。

親の「超自我」の通りに生きるようにすれば、必ず、悩むでしょう。

何故って、親の時代と自分の現在の人間社会のバックグランドが、全然と違いますから。

親に言われた通りに、自分の人生を生きればと思いながら生きると、必ずや、人生の「壁」にぶち当たるでしょう。

 

 先述しましたが、親の時代と環境も、違いますよ。

そんな時代に、親の言う通りなんて絶対に考えないで欲しいです。

むしろ、今生きている自分は・・・「超自我」が働いていますが、自分は親と違って角度を変えて生きるのだと思えば、もっと生きていて生き易いですよ。

時に、親の頭の上を歩いていけるような子供になって欲しいものです。

親の考え方から自由になって、すなわち、超自我を超えて生きていくという事です。

親を殺して、生きろ!!! なんて考え方もあります。

これは、親を刃物で殺すのではなくて、会話とか行動とか心で自分の自己主張をしっかりと行なって生きる事です。

 

 親が教え込んだ「生き方」だけでは、絶対に幸せになれません。

人生が「窮屈」になってしまい、自分の心が疲れ果ててしまいます。

「「うつ病」」にでも、なります。

自分の発想で人生を生きる事を考えないと、常に、プレッシャ―が罹ってきます。

自分の人生を生きるには、常に、自分の{{心}}を自分で変えられる人間になっておかないと、駄目な人間になってしまいます。

自分の未来の設計は、自分の考え方で創造していかないと、駄目です。

 

 自分の道を進むのに、度々と自分の周囲の人達に<<意見>>を聞いていたら、矢張り、周囲の人達に本当に馬鹿にされるでしょう。

周囲の人達が、歪な心でもって、自分を{駄目な人間}などと判断して、次第に自分を相手にしてくれなくなります。

真実に、賢くも偉くもない可哀相な人間だと思うし、同情もしてくれません。

自分の人生の道を切り開く能力で<<行き詰まった時>>には、必ず、プロの「心理療法」の道が有るのです。

どうか、この道を体験して欲しいのです。

自分の「器」が大きくなるし、考え方も一段と進歩します。

<<家族・親子>>親と子(続編)18

2010 年 3 月 11 日 木曜日

 何歳になっても、親から見れば<<子供達は子供>>ですよ。

親も、普通の場合では、心の病気を勉強しません。

「心は、人間の眼に見えない」ので、なかなか、人間は学習しようとはしません。

悩みや苦しみ、随分と{{心の葛藤=ストレス}}を抱えても、自分には全くストレスは無いと答える人もいるくらいです。

人間って、それほど、自分の{{心}}に疎いです。

中学校や高等学校にもなれば、自分で自分の{{心}}を見つめる「「心理療法」」を受ければ、簡単に自分の「無意識」や「潜在意識」や「顕在意識」などの諸々の{{心}}の全部まで見えますので、随分と賢くなります。

 

 自分の「会話」とか自分の「行動」とかが、如何なる状況から出て来るのかが、真面目に1週間だけでも「心理療法」を体験すれば理解できます。

全ての「会話」と「行動」は、自分の「心」が動かしているものです。

悩むか、悩まないか、人間は自分の{{心}}しだいです。

自分の{{心}}を、悩まない、そんなストレスに強い{{心}}にしておけば、良いだけです。

中学や高等学校や大学でも、{うつ病}や{引きこもり}などにて当人も凄く悩みながら、自分の生きる道や進む方向性が全然と理解できないのです。

そんな人達の{{心の迷い}}と言うか、自分の{{心の迷い}}を自分では、全くと<<紐解けません>>ですよ。

 

 自分の{{心}}は理解できるが、他人の{{心}}が理解できないと、多くの人達は言いますね。

それは、普通の人達はそんな風に感じるでしょうが、全くと<<逆>>なのです。

自己の「深層心理」を理解できる人達は、他人の{{心}}もそれなりに喝破できるようになるでしょう。

しかし、この{{心の世界}}も、相当に熟練した人達でないと、他人の心を正確に見抜く事は不可能でしょう。

人間が、{{心の病}}になって抜け出せない時には、必ず、自己中心的になっています。

その自己中心的な{{心}}も、当人の生い立ちの{{心}}のなす「業」ですから、自分の「会話」と「行動」と、それらを動かしている自分の「心」を正確に知っておくべきでしょう。

 

 親から離れて、自分で暮らしている時に、人生の道に迷えば、人間は必ず「心理療法」を受けて、早く<<心の病>>を治すようにして下さいませ。

青年期~成人期~壮年期~高年期になっても、人間は人生の道で迷うものです。

素早く、人生の正常範囲の<<道に戻らない>>と、その人達の社会での生産性が落ちますので、出来る限り早く「心理療法」を体験して、素直な自分に戻って<<幸せだと感じる>>日々の生活を送って欲しいと考えます。