‘自殺対策’ カテゴリーのアーカイブ

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・13

2012 年 1 月 13 日 金曜日

  前回でしたか、数回前ですよね。
「「四苦八苦」」の中で、残りの「「四苦」」について「「話」」をしていなかったので、また、話を少しながら説明して見ます。
大事な、「「話」」ですからね。
皆さん方も、「「肝」」に命じて覚えておいて下さいませ。

  残りの「「四苦」」ですね。
最初は、「「求不得苦」」について、話しましょう。
求めても、求めても、自分の手に入らない苦しみの事です。
それでも、人間って、面白いもので、この地球上に生きていますと、それでも、自分の思った物&者が欲しいものです。
愛する人〔異性〕が欲しい場合も、大変に悩むものでしょう。
漠然と考えている間は、まだまだ、辛い気持ちも{{漠然}}としているでしょうが、一旦でも、この人と「「愛」」して「「恋」」したいと思いますと、なかなかと自分の{{こころ}}から離れないでしょう。

 勿論、皆が皆、{{そう}}である筈もありませんが、其処が人間と言うもので、{{こころ}}のコントロ―ルが上手に出来ない人達も時折に見られます。
「「我慢のこころ」」が、自分の内側から外側に流れますと、「「事件」」や「「犯罪」」などまでを起す場合も出て来ます。
良くも、上手に人間の{{こころ}}を表現したもので、「「求不得苦」」などと、言う{{言葉}}を作っています。

  当方は、人間の{{こころ}}を凄く追求して日々を暮らしていますが、このように上手に人の{{こころ}}を表現するなんて、本当に素晴らしいものだと、気づかされました。
「「うつ病者」」の方達は、多くの場合で人間世界にある物や者に対して自分が、如何なる対応して良いかが不確定なのですし、また、そんな現状を自分の思うとおりにしたいのです。
自分の思うとおりにならなくて「「悩み」」・「「苦しみ」」・「「悲しい」」・「「憂うつ」」だなどと、嘆いています。

  最後には、自分の希望通りに「「此の世」」が動かないので、辛い、辛い、悲しい、苦しい、惨め、などと考えてしまい、「「死」」んだ方が気楽ではないかと思ったりもします。
求めても、求めても、自分の思う通りにならないのが、「「此の世の中」」ですけれど、何とか自分の思う通りにしたいのです。

 「思うがままに、ならなくて」などと言うのが、この世の人生の{{真実}}ですからね。

 こんな{{言葉}}もありますよ、「「諦めが、肝心」」なんて言いますが、本当に、当方は長期間にわたり「「心理療法」」をしていても、そう思います。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・12

2012 年 1 月 12 日 木曜日

 最近ですが、当方も、「「自殺対策」」についての話がありましたので、少しの時間ですが、参加してみました。
自殺を起した人達、自殺未遂の人達についての「「話」」が多かったみたいです。
その内のお一人が、自殺なんかは、その人の生い立ちに「「何らかのもの」」が有るのではないかと、「「話」」しておられましたが、正確な「「話」」までは出なかったですね。
それから、自殺未遂を起した人達について、家族への連絡などをしても、家族が「「関心」」を持ってくれないので、大変に困るような「「話」」もありました。

 当方は、即、当院に帰らざるを得ない「「状況」」が起こりましたので、「「話」」をする時間を持てなかったのが残念でした。
「「自殺対策」」については、自殺未遂の方々について「「話」」をしても、何だか{{筋違い}}のように感じます。
勿論、自殺未遂者が、また、自殺をする場合も多いですから、それはそれで、「「話」」の対象にはなるでしょう。
でも、悩める人達が、「「うつ病者」」の人達も含めて、悩まない人間になるのが最高に大事でしょう。

 何も「「悩み」」を抱えない人が、「「自殺」」する場合は有り得ませんでしょう。
でも、当方が凄く面白いと考えるのは、「「うつ病者」」が、結構と{{悩み}}が無いと訴える人も見られます。
「「うつ病者」」で、自分が悩みが無いと訴えるのですから、早く治してあげたいと考えても大変ですよ。
このような方達は、案外と、「「うつ病症状」」のみにとらわれて、簡単に「「自殺」」する場合もあります。

 勿論、自分の{{こころ}}の悩みに少し気づきながら〔当人は、あまりにも多い大変な悩みと考えているでしょうが、「「潜在意識」」と「「無意識」」の悩みには全然と気づいていませんので・・〕、このような方達も治癒させるには大変です。
でも、極一部の人達ですが、「「うつ病者」」でも、それなりに真剣に「「内観」」を勧めると、案外と受けてくれる人も居られます。
先ずは、自分が如何なる{{こころ}}を抱えているかを知るのが、一番に大事です。

 「「自殺対策」」では、人間が何事に対しても、悩まない{{人}}となる事です。
そのように、悩まない人間になるように、教育するのが、大事でしょう。
何度か、申し上げましたが、学校教育では、「「心理学」」が、凄く大事です。
勿論、子供達は、{{こころ}}だと言っても、案外と「「何」」の話か理解できない場合も多いでしょう。
それでも、子供達の「「頭」」にでも、少しでも{{こころ}}って、何だろうと思い出だしてくれるだけでも、人間には役立つでしょう。 

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・11

2012 年 1 月 11 日 水曜日

  できる事ならば、庶民に日頃から「「こころの勉強」」をさせないと大変でしょう。
「「うつ病者」」の「「自殺」」が多いのですが、時には、「「統合失調症」」の方達も、自殺をします。
当方、可能な限り、幼い頃から「「反省」」の時間を持たせるのも良いと感じています。
大人になるまで、全く「「反省」」をした事の無い方達は、大人になってから自分の「「過去」」を振り返るようにお願いしても、なかなかと自分の{{こころ}}、を見るのが下手と言うか上手でない方達も見られます。

  日頃から、「「反省」」する能力を持てる人間にしてあげておかないと、自分の思い出を語るだけでは、{{こころ}}の底を深く覗けないのです。
自分の{{こころ}}の底にある「「無意識」」と「「潜在意識」」の世界を覗けない方達は、己の{{こころ}}と言うか、今の「「顕在意識」」を変える事が難しいものです。
同じ意味ですが、「「人格矯正」」が困難になっています。

 全ての人間の今の{{こころ}}は、自分の「「過去」」の{{こころ}}に裏打ちされています。

  一度だけ、話しましたが、人間は、自分の過ぎた「「過去」」の{{こころ}}の敵討ちをしている様なものでもあります。
しっかりと、人間の{{こころ}}を勉強していますと、当方の言っている{{意味}}も理解できるようになるでしょう。
自分の誕生から~~現在に到るまでの{{こころ}}が平坦になる事ですね。

 過去からストレスを沢山と持って育つと、現在の{{こころ}}は決して、平坦にはなっていませんよ。

  「「自殺」」なんて気持ちと言うか{{こころ}}も、全てが、自分の適当な範囲での「「正常なこころ」」を持っていません。
「日常生活の中で、所詮、適当な範囲で「「正常なこころ」」を抱えていると言っても、何がしかの、現在にて、それなりの、{{こころ}}の葛藤を担ぐ事で、自分の「「過去」」の余分に持っていたストレスが、「「鎌首」」を持ち上げて来て、余分に「「ストレス」」が大きくなります。
そうなる事で、人間の{{こころ}}も整理整頓が壊れてしまいますし、余分な事柄をしたり、「「会話」」も「「行動」」も「「こころ」」も変形してきます。

  人間って、「「五欲」」を持ち続けていますので、悟った、悟った、などと言っても、人生を真実に悟るには、矢張り、「「無常観」」→「「無我」」→「「涅槃」」までを悟っておかないと、色々な人間世界の{{事柄}}や{{事象}}に出会って、また悩んだりもするでしょう。
今は、「「自殺対策」」について話をしていますので、皆が真剣になって{{こころ}}を勉強するべきですね。
 
  親と子の過去の{{こころ}}の「「和解」」が最高に重要です。

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・10

2012 年 1 月 7 日 土曜日

 「「死」」が、生きとし生きる人間にはぶら下がっています。
それでも、なかなかと、「「死」」を見つめようとしません。
悲しい人間の「「姿」」ですが、これが、でも、現実ですからね。
どんなに高齢にまで生きても、長く生きれば生きる程に、人間は色々な{{病気}}にもなりやすいし、最後には、{{認知症}}にもなってしまいます。

 仮に、自分は認知症ではないと考えても、他者から見れば、凄い程に「「認知症」」になっている方達も見られます。
或いは、「「認知症」」とは言えなくても、随分と頭の回転は弱くなっていますよ。
大変に興味あるのは、一般社会の人達には、人間が死ぬ事を生身のままで「「悟る」」事は、大変に難しいでしょう。
そんな事が分かっても、何も役立たないと言う人たちも確かにいるでしょう。
だが、現実にですが、生身のままで、「「死」」を悟るのが最高の境地です。
「「死」」を、生身のうちに悟った人でないと理解できないでしょう。

 「「無常観」」と言いまして、有名な言葉ですが、あまり、皆様方は知っておられません。
ここまで、人間の「「一生」」を悟ると、「「自殺」」なんかはしないでしょう。
お住職さんも、「「無常観」」については、なかなかと悟れません。
医師も精神科医や診療内科医を含めて、「「無常観」」は悟るのが難しいでしょう。
言葉では、理解できても、体で理解できない世界があるものです。
自分の命が欲しいと思う間は、「「悩み」」や「「悲しみ」」や「「苦しみ」」や「「嘆き」」や「「不満」」や「「嫉妬」」や「「妬み」」や「「恨み」」や「「憎しみ」」などが起こるでしょう。

 そんな人間にとって、マイナスの{{こころ}}が溜まれば溜まる程、己は疲れてきます。
多く皆さんが、「「死」」については「「話」」をするのを避ける傾向にあるみたいですが、時には真剣に「「話」」をする必要があると考えます。
人間は誰も、自分の親に対して、全くと、「「不満」」や「「怒り」」などを持たないで生きられるかと言えば・・・、時には、自分の{{こころ}}と「「生き様」」を確認しておかないと、頭の表面だけで「「言葉」」を語っても、あまり意味がないでしょう。

 人間世界で生きる事のためには、人間世界の「「矛盾」」とか「「不公平」」とかを、認める事も必要でしょう。    
正真で真面目に生きると言っても、所詮、人間は生物を食べて生きています。
それでも、素直にして自分の「「生き様」」を眺めないと、人間の愚かな「「生き様」」を理解するのは、難しいかも知れません。
自分以外の他者に対しても{{有り難さ}}とか{{恩}}を感じる事のできる人間は、「「自殺」」なんかは決してしないでしょう。 

<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・9

2012 年 1 月 5 日 木曜日

 そう、「「病」」なんてものもありまして、全ての人に取りつかれるものです。
予定になかった「「若年者」」でも、結構と、不治の「「病」」に取りつかれて、死ぬ場合も有りますよ。
病気にしても、自分の体から出て来る「「不治の病」」とか、場合によっては、自分の体の外側から外傷などを受けて「「不治の病で死ぬ病」」も多々とあります。
どんなに自分が注意をしていたつもりでも、不治の「「病」」に取りつかれるのですから、それは、悲しいものです。

 若くても、肉体的な気質的な「「不治の病」」とか、今に問題視されています「「うつ病」」などですね。
自分の体の外傷を「「機」」にして、「「うつ病者」」になって死んで行く場合も多々とあります。
或いは、外傷もないのに、いや、{{心理的な外傷}}と言った方が当然でしょう。
{{こころの外傷}}}なしに、{{こころ}}の病気になる方達は居ませんからね。
でも、皆さん方が考えている{{こころ}}の外傷体験で「「うつ病」」になったと言う人達が多いのですが、「「切っ掛け」」であって、本当の「「原因」」は、また、別のところに有ります。

 最近では、「「PTSD」」とか言う言葉が流行していますが、その前からですね、「「反復強迫」」と言う言葉が有ります。
ある事柄で「「うつ病」」になったとか、言いますが、その前にですね、{{こころ}}の形成が全てにおいて関与していますし、「「固着」」が問題だと断言しても良いでしょう。
何度も繰り返しますが、皆様方は、当方の記載した全ての「「事項」」を読みこなすのは無理でしょうから、そう言う事で同様の「「記載」」になるかも知れません。

 純粋に「「肉体的な病気」」もありますが、若年者では、多くの場合で、{{こころ}}に関連した病気が多いです。
幼い時の{{こころ}}の「「外傷体験」」って、なかなかと治らないですし、消去したくても消去できなくて悩み続けます。
自分の中に溜まった「「こころの歪なエネルギ―」」が、当人の内側に籠もってゆくのか、そんな場合の方が、「「心身症」」とか「「神経症」」とか「「パニック障害」」とか「「うつ病」」などになって行きます。

 「「歪なこころのエネルギ―」」が、外側に流れますと、「「事件」」や「「犯罪」」などとなってしまいます。
「「自殺」」の場合では、どちらかと言えば、「「歪なこころ」」が内側に蓄積されてしまい、最後には、内側に蓄積される場所が無くなったとも言えます。
どちらにしても、{{こころの病気}}にならないためには、人間の「「過去のこころ」」の中に、沢山の「「固着」」を持たずに、少なくしておく事です。