‘当方の論文’ カテゴリーのアーカイブ

<<論考>>現在の{{こころ}}7

2011 年 3 月 8 日 火曜日

 人間は誰しも、今の現在の、自分の抱えている能力や力量で<<物事>>を考えて生きています。

その「「考え方」」の能力ですね・・。

この思考体系の出来上がり方が、人々、皆が少しずつ変わっています。

 一番に素晴らしい考え方は、自分の「「深層心理」」を知っているのか、どうかでしょう。

どんなに自分の{{終焉}}にて、皆様方に感謝できて{{有り難う御座いました}}などと言っても、其処に辿り着くまでの{{こころ}}が足りないので、自分の人生で結構と悩んで、或いは、自分が悩まなくても周囲の人達を悩ませて哀しませて生きて来た人達が沢山と居ます。

 

 自分が「「幸福」」であれば、周囲は「「幸福」」かと、問われれば、むしろ、反対の場合が多いかもしれません。

人間の生き方って、本当に難しいですよ。

 例えば、自分が「「金銭」」を沢山と持っていれば、周囲の人達は案外と{{やきもち}}や{{嫉妬}}なりをして生きているものです。

一番に理解し易いのは、例えばですね、自分の知っている人が、自分の自宅の隣に「「豪邸」」を建てれば、誰もが「「嫉妬」」をします。

自分の知らない人が、どんなに素晴らしい「「豪邸」」を建てても、「「やきもち」」とか「「劣等感」」を感じないものです。

矛盾した、人間の{{こころ}}です。

 

 誰が「「豪邸」」を建てても、自分の{{こころ}}さえ、しっかりとしていれば、心の動揺はありません。

一般に、人間は他者に対して、「「劣等感」」・「「不満」」・「「不平」」・「「ヤキモチ」」・「「嫉妬」」・「「恨み」」の感情を持ちやすいのです。

 そんな、{{こころ構え}}だけは、持たないで欲しいものです。

死ぬ前でなく、一生を通しても、自分の恋人の{{こころ}}が満足するように、そして、周囲の人達も可能な限り{{こころのお荷物}}を抱えないで生きられれば、最高でしょう。

でも、そんな立派な話を、当方が話していますが、現実は難しいものです。

 

 何故かですが、誰かが「「有名」」になれば、誰かが自分の「「無名」」を辛く思うものです。

これが、一般の人間の思考体系ですからね。

誰かが、「「金銭」」を沢山と、お金持ちになっていれば、「「やきもち」」をやくでしょう。

 傍の誰かが、仮に、男性が綺麗な美しい女性と一緒に居れば、矢張り、男性は{{やきもち}}や{{嫉妬}}をするものです。

綺麗な美人を抱いている男性は、嬉しくて幸福感を感じるでしょうが、周囲の人間達は大変なもので{{こころ}}は穏やかではありません。

人間の「「こころ」」の持ち方しだいですが・・・・・、

「「内観」」が重要です。 

<<論考>>現在の{{こころ}}6

2011 年 3 月 7 日 月曜日

 最近ですが、当方に来院された方で、ドクタ―ショッピングと言いますか、随分とあちらこちらの病医院を駆け巡り、大学病院にまで診察に行かれたのですが、診断も不可能でした。

ある病院で、格別な担当科でしたが、MRI機器でも何度も調べていましたが、また再度、調べてもらったようです。

 最後に、一度でも良いから「「心療内科」」を受診したらどうですか???と言われたようです。

たまたま、当院に来院されました。

カウンセリングを開始しましてから、当方で書いた書物も一冊だけ買われて帰えられましたが、何となく勧めた「「内観」」を、直ぐに、{{体験してみたい}}と答えられて、「「内観療法」」を通院で10日間されました。

 

 当方から、「「内観」」されている間は、格別にコメントもせずに、唯、ひたすらに、決められた通りに自分の過去を調べていかれました。

からだの症状で、何処の病医院に言っても治らない病気でしたが、たまたま、自分の職場において、当方を訪ねるようにアドバイスを受けたとの事でした。

 当人は、何処に行っても治らない病気で、半信半疑でしたが、我慢をされて「「内観」」をされました。

当方から見ていれば、立派な「内観」」ができたとは感じませんでしたが、帰る時の感想文では、立派な感想文を書いて帰られました。

自分の治らない病気は、自分勝手病であって、怠け病だったのかと言って帰られました。

 

 沢山の薬も服用されていましたが、そんな状況でも「「内観療法」」は出来るのです。

お帰りの際には、当院を紹介された方へも{{宜しく、お伝え下さいませ}}と言ったら、喜んで伝えておきますと、言われました。

{{こころ}}の世界では、自分で体験しないと、自分の{{こころ}}が見えないものです。

 現在の{{こころ}}は、全てが、自分の過去の{{こころ}}に裏打ちされています。

どんな{{こころ}}に裏打ちされているのかが、自分で素直に理解できる人は、他者の{{こころ}}を理解できるのです。

他者の現在の{{こころ}}を喝破できる人は、自分の人生を気楽に楽しく悩まないで生きる事ができるでしょう。

 

 そうなるためには、「「無意識」」や「「潜在意識」」など・・・自分の「「深層心理」」を理解できる事が、最大に重要でしょう。

格別に、自分の母親と父親、祖父母、兄弟姉妹、学校での友達関係、近所の人達、親戚の人達、色々と自分の傍を通り過ぎた人達に対しての自分の関連した{{こころ}}を調べるのです。

その事で、全ての答えが出て来ます。

「「内観」」を、体験するのみです。

<<論考>>現在の{{こころ}}5

2011 年 3 月 5 日 土曜日

 そう、現在の{{こころ}}を丈夫にするために、説明と記載をしています。

当方の知っている人で、幾人かの人達ですが、見えない「「神」」に告白しても、自分は全然と変わらなかったと、答えられました。

お一人は、それも大企業の会社の、社長さんでしたけれどね。

クリスチャンでしたが、教会にて、「「神」」へ告白したが、自分は全然と何も変化が無かったと言われました。

 何故かですが、当然です。

自分の{{過去の記憶}}を詳細に、告白できていないから、当然と自分の人格は「「変革」」できません。

 

 現在の{{こころ}}は、「「潜在意識」」と「「無意識」」を風呂敷に入れてぶら下げているようなもので、或は、潜在意識と無意識が頭上から、自分の心を圧迫しているようにイメージするといいですね。

そうであるから、「「潜在意識」」と「「無意識」」を変革する事が最大に重要です。

 庶民にとって、自分の「「潜在意識」」と「「無意識」」を掘り起こすのが、最大に難しい行為でしょう。

誰も、普通の庶民は、如何にすれば、自分の{{深いこころ}}を散策できるかどうかでしょうが、どうすれば良いのかを<<知っておりません>>ですね。

 

 当方、「「無意識」」と言えば、色々な思いが有りまして、昔の思いや考え方だけではありません。

最近の記憶も、案外と人間は無意識の状態で使用しています。

「「無意識」」は、簡単に説明しました、二通りに分かれます。

幼い頃の記憶を引き出すのに苦労する「「無意識」」と、極最近の出来事を「「無意識」」的に使用しています。

 そう、人間が此の世を生きるのに、凄く早い判断で{{こころ}}を使って生きています。

一つ一つを、じっくりと考えて、自分の人生を判断しながら生きるなんて出来ません。

だから、日頃の人生で、自分が過去の何時の自分の{{こころ}}を主体的に使っているかなんて不明ですよね。

 

 それでも、必ず、人間は自分の過去で学んだ事柄を使っています。

それほど、現在の自分をいきるには、自分の過去の{{こころ}}を使っている事を知らなければ駄目ですね。

過去の{{こころ}}が無いのでは、現在の状況をも判断できません。

 日常生活をしている間では、考えもまとまらないだろうし、じっくりと考えなければ、こんな事柄でさえ理解できないかも知れません。

「「無意識」」と「「潜在意識」」が二つに分かれているのですが・・・・・。

どんなに考えても、二通りに分けてもいいですね。

{{こころ}}の学問をしていない人には、理解が無理でしょうか。

<<論考>>小雨様からのコメント

2011 年 3 月 4 日 金曜日

  久しぶりにコメントさせていただきます。相変わらず、お忙しいそうですが、体調など崩さずにお元気のままいてくださればと思います。

突然ですが、先生にご相談です。私自身のことですが・・・。

 

 最近、ここ数年に鬱積されてきたものが、今ここでごちゃごちゃになってきているようです。今までは目の前にあるものを一生懸命してきたのですが、、、
 それらをクリアして片付けてきて、自分自身も成長できたようにも思うのです。だけど、今になって急に前が見えなくなったというか、どうして良いかがよくわからないのです。すごく憂鬱になっているわけでもないのですが、今いる場所に居ても、自分にとってプラスになるかというとそういうわけでもないのだと考えるようになりました。なんというか、私自身の中で上手に整理できない、我慢できない、というような感じです。

これだけでは、うまく伝わりにくいのですが・・・

なんとなく、先生に聞いてみようと思いコメントしました。

お忙しい中申し訳ありません。

 

{{お答え}}

コメントを有り難う御座いました。

現在になって、頭がゴチャゴチャになったそうですね。

特別に、無理もありません。

 

  人間は、{{からだ}}も{{こころ}}、年齢と共に少しずつですが、必ず、頭の中には、沢山の知識や余分な感情も蓄積されます。

だから、沢山の{{こころ}}と言うか、感情の中から<<自分で少しずつ、拾い上げて整理する>>のが大事でしょう。

  自分で整理しないと、自分の頭の中の気持ちや感情を他人が簡単に整理してくれる筈もありません。

大事なのは、小さい時の方が、自分にとっても、人間にとっても、自分の頭の中で整理するものが少ないはずです。

 自分の周囲の環境とか自分の周囲の人間達との間柄も、{{こころ}}の容量からすれば、微々たる量ですからね。

  勿論、人間が年老いて、「「死」」が近くなってきますと、俗な言葉になりますが、自分の「「死」」を受け入れますと、「「諦め」」がついてくるものです。

 時折には、「「死」」に拘ったりしますと、悩む場合もあります。

  今の年齢では、悩んで{{当然}}でしょうね。また、{{悩み}}から、開放された人間ほど、人間世界を生きるのに賢く偉くなりますし、悩む人達への手助けもできるように、より成長してきているものです。

 

 どうしても、早く解決したのであれば、自分を{{とことんと、見つめる{{こころ}}の修行}}をされれば、簡単に解決できます。

 大学で4年間の心理学を勉強するよりも、遥かに、{{こころ}}について賢く優秀な人間になれるでしょう。

 

 「「人生とは、何ぞや???」」、「「己とは、何ぞや??」」、「「自分の存在とは、何ぞや??」」ですね。

 きっと、素晴らしい人間になれるでしょう。

 其処まで、歩かないと気づきませんでしょうけれど・・・。

今回は、この辺で・・・。また、コメントをお待ち致しております。

    

       メンタルヘルス研修所 医師&心理士 松永清美 記

 

<<論考>>現在の{{こころ}}4

2011 年 3 月 3 日 木曜日

 自分の過去の{{こころ}}を散策したら、記憶に出て来た事柄を素直に明確に、自分の口と耳をしっかり使って、他者に話をするのです。

これも、他者にと、言っても、簡単に誰にでも「「話」」をする気持ちにはなりません。

 少し話が変わりますが、そのために、随分と、太古から使われてきたのが、「「神」」とか「「仏」」とかが介在しまして、人間の{{こころ}}を変えようとしたのでした。

そう、こんな風に考えた人達が、地球上の東西南北に、適当に現れたと言っても良いでしょう。

 

  たまたま、拡がってきたのが、キリスト教とか仏教とか、その他の「「宗教」」が色々と沢山と有ります。

 ですが、本当に真実に「「人間の{{こころ}}を変えたい」」のであれば、純粋な「「心理療法」」として出来上がった「「内観療法」」が一番に良いでしょう。

 当方、自分の考え方で、「「宗教」」を非難する気持ちは全然と有りません。

世の中には、立派な「「宗教」」もあるし、お粗末な「「宗教」」もあります。

人間が、自分の{{こころ}}を丈夫にし、強くなりたい時には、とにかく、「「三つ子の魂」」を変革しないと、どうにもなりません。

 

 面白いのは、{{うつ病者}}の方々にも色々な人達がいまして、「「うつ病」」になる原因は、沢山の悩みを抱えて{こころ}}が身動きできないために「「うつ病」」になっているのです。

 されど、話を聞いたり、カウンセリングにもって行こうとしたり、或いは、本格的に「「心理療法」」と考えても、当人は全然と{{悩み}}を持たないと答えるし、自分には悩みの「「欠けら」」も無いから、{{こころ}}の話なんかには全くと関心ありません、などと、答えるのですから、悲しいものです。

 時折にですが、そんな人達に出会うものです。

怖いですね、恐ろしいですね。

自分の{{こころ}}が全く見えないのですから、一体に人生において<<何を考えて生きている>>のかでしょう。

 

 こちらから、見ていますと、悩みを沢山と山のように抱えていても、自分の{{こころ}}が見えないのです。

そのような人間には、どうしても、ならないでと願うのですが、目先ばかり眺めて育った人には、こんな見方しか出来ないのです。

 何度か、皆様方に伝えましたが、「「内観療法」」が世界中で一番に良い{{療法}}だと、当方は何時でも考えていますし、今からでも後世になっても「「内観」」が最良だと考えます。

「「三つ子の魂」」を変えるには、「「内観」」しか有りません。

「「神」」に告白しても、告白の{{内容}}が問題です。

自分の苦悩や嘆きの言葉を、「「神」」に向かって、<<告白しても>>、全然と意味がありません。どんな{{言葉}}に意味があるのか、ですね。