<<劣等感>>「「劣等感」」続編3

 そう、どんなに、お金持ちになっても、どんなに美味しい食事をしても、どんなに素晴らしい高級住宅に住んでも、どんなに素晴らしい女性を得ても、どんなに睡眠が充分に出来ても、人間の{{こころ}}は幸せになれません。
何故でしょうか???。

 そう、一時的な「「幸福」」を得たとしても、これらは、どれも自分の外部の物事で満足させようとしています。
自分の外部にある物事で満足しても、やがて、自分の外部の物事とは「「お別れ」」の時間もやって来ます。
俗に、今、皆様方へ伝えた事柄は、人間の「「五欲」」について述べたのです。
でも、「「五欲」」などと言う物事が、やがて、自分の眼前から消えて行くものです。
一時の「「満足」」や「「欲望」」など得たとしても、眼前から消えて行くものであれば、また、寂しくもなるし悲しくもなります。

 今や、先進国の人達が、誰もが幸せなのかと言いますと、多くの人達は自分の国よりも貧乏な国の人達を見つめて、自分の優位を確かめたいと考えます。
でも、「「豊潤は 人のこころ迷わせる」」と言われるように、人間の「「欲望」」には限りなくて、大変です。
ちょとだけ眺めてみても、先進国でも、「「事件」」や「「犯罪」」までが、沢山と起こっています。
幼い子供でも、学校に行かない「「登校拒否」」、また、「「いじめ」」、「「学校暴力」」、「「家庭内暴力」」、「「拒食」」、「「過食&嘔吐」」、「「シンナ-中毒」」、幼い頃から、多様な「「犯罪」」まで起こしたりしていますよ。

 貧困の国では、「「拒食」」、「「過食&嘔吐」などは起こらないですよ。
人間って、貧乏な状況を知っていないと、なかなかと現在の「「満足感」」も湧き上がって来ないものです。
じゃあ、貧乏を体験した人達が全ての人達が、皆が全てにつけて「「裕福」」になれるのかと言えば、それは、無理でしょう。
誕生した時から、そのまま「「裕福」」で成長して、大人になっても全てにつけて「「裕福」」な人達は、「「貧困」」の世界、貧困の気持ちを知らないので、大変でしょう。
一度、貧乏になれば、己の{{こころ}}と{{からだ}}に耐える能力を持たないでしょう。

 可能であれば、人間世界について充分な理解力を持つ事、また、己の知識だけでなくて、知識は無くても良いから、己の「「真実なる能力」」を知る事でしょう。
自分の「「性格」」や「「人格」」を、充分に悟る事なのです。
「「悟り」」とは、少し難しい言葉になりますが、そう、他者から「「話」」を聞いて分かるものは「「悟り」」ではありせん。
また、「「性格」」は、プロの世界では使わない言葉で、「「自己同一性」」です。

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