<<劣等感>>「「劣等感」」続編2

 人間の{{こころ}}ですね、己の{{こころ}}を知っていれば、病気にもならないし、「「自殺」」も減ると言いました。
そう、必ず、「「自殺」」も減るでしょう。
何処の国も、同じでしょうね。
己の{{こころ}}を大切に教育している国は、今のところ、無いでしょう。
そう、世界中を見渡してみても、当方には「「そんな国」」は見えないですよ。
何故でしょうかね。

 医療費の高騰だけを叫びながら、金銭が足りないと、また、言いながら叫んでいるのは、今は、何処の国も同じなのでしょうけれどね。
庶民は、「「建前」」と「「本音」」も理解できませんし、使い方も知らないのですからね。
人間世界には、悲しい事実が存在しているものです。
そう、「「建前」」と「「本音」」だと言えば、しばしばと聞く言葉の筈ですが、この意味が如何なる意味なのかを、知りたいと思わないのが、また、大変でしょう。
この「「本音」」と「「建前」」の意味や使い方を知っていなければ、まだまだ、大人ではないですよ。

 人生を生きるのに、凄く大変に重要な言葉&会話の使い方があるのですが、これだけの{{意味}}でさえ、憶えようとしません。
何度も繰り返しますが、人生での会話ですね。
相手が一人であろうと、相手が集団の人達であろうと、その場、その場にて両方の言葉の使い方があるのです。
でも、面白いのは、「「建前」」と「「本音」」を使い方ができるにしても、そんな使い方の出来る人達でさえ、案外と自分の「「深層心理」」を知っていないものです。

 人間の頭と言うか、大脳の働きは、自分の外側を眺めて判断をするのに一生懸命なのですね。
「「得」」か「「損」」か、など考えながらで、眼前の「「得」」をする事柄に一生懸命です。
相手が「「得」」をして、自分が「「損」」をするのには、耐えられないのです。
眼前の事柄が「「損」」か「「得」」なども、案外と人生の末路まで見えている人達でないと「「表層心理」」の状況での{{使い分け}}になっているものです。
こんな言葉を「「話」」ますと、難しく聞こえるかも知れませんが、己の{{こころ}}を知っていないから、そうなってしまうのです。

 自分の「「真実のこころ」」と「「偽りのこころ」」と言った方が、理解出来るかも知れませんが、人生を生きるのに一番に大切なものです、ね。
そう、本当に人間が{{こころの世界}}を学ぶようになれば、病気も減ってゆくものです。
悲しいかな、何時の時代になっても、人間は「「己のこころ」」を学ぼうとしません。
「「己のこころ」」を知る事で、人生の全体像は簡単に見えてきます。
誰から、「「言葉」」や「「悪口」」で非難されても、納得できるでしょう。 

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