<<投書>>続編(2頁目)

私が内観をして変ったこと。それは、感謝するようになったことです。今までも口では感謝、感謝と言っていたけど、心の底では、何が感謝だ、当たり前だろうと思っていました。

でも、当たり前でないことに気付いたのです。家があること、ご飯があること、親がいること、そして今ここに私がいることは、当たり前の様で全て当たり前ではないのだと、心から気付いた時、感謝の気持ち、ごめんなさいと思う気持ち、言葉では表せないたくさんの気持ちが、大量の涙とともに、私から溢れました。本当に、奇跡だなと、思いました。

 誕生日に一度だって、うんでくれてありがとうと伝えただろうか。卒業式に、ここまで育ててくれてありがとうと伝えただろうか。いつもありがとうと、たったこれだけの言葉の本当の意味を、理解するのになぜ十五年の月日がかかったか。それを理解できずに、授けられた命を、自分でたとうとしてしまった。反抗、嘘、盗み・・・。

 自分は今まで何をしてきたのか。自分が一番辛いのだと、どれ程信じ続けてきたのか。親がどれだけたくさん苦労をしてきて、どれほど私を想ってくれ、心配してくれていたのかを知って、生まれてはじめて、心から親にありがとうと、ごめんねを、思いました。

孤独、というものなんて、私には、ひとつもなかった。私が孤独を作っていたということを、はじめて思いました。

十五年分のありがとうとごめんねの気持ちをこめて、これからは、じまんの娘だと、親に見送られ、必ず恩返しをしたいと、強く心に刻みました。

 

私が内観をしてもうひとつ、得た大きなものがあります。        将来の夢です。内観をして私は、見失っていた自分を見つけました。 そしてその自分をかたく離さないための夢もまた、見つけることができたのです。私は経験、自分の好きなこと、得意とすること、それらをトータルし、カウンセラーになりたいと、自分の本当になりたいものを見つけました。私はずっと、自分のなりたいものをさがし求めてきました。でもそれらは自分のすきなこと、理想にすぎないもので、イマイチ納得できませんでした。

でもここへ内観しに来て、自分が心の病から治ると、同じように悩む人々を救いたい、助けたいと思う気持ちがごく自然に芽生えました。そして、それが自分の求めていたものと一致したとき、本当にここへ来て良かったと思いました。

辛い時、話を聞いてくれる人がいるのといないのでは天と地の差があることを、私は経験上痛いほど知っています。

経験のある人にしか分からない、分かりにくい気持ちもあります。

経験した辛いこと、それを乗り越えることができた時の、喜び。それらを最大に生かせるものを、私は見つけることができ、本当に嬉しく思います。私は人よりも辛く、悲しいことを経験してきました。普通ならならない様な感情にも、なってきました。人を恨みました。悪いこともしました。けれど、私が今、手にしているものは、かけがえのない、世界でたった一人だけ、私だけしか持つことのできない財産なのです。

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