<<投書>>投書が入りました。

当研修所で、父親と七泊八日の心理療法をおこなった十五歳少女の気持ちです。

最初、彼女の母親、次に父親(途中で中断)、その後、祖母も時をずらして体験しておられました。

今回の心理療法は彼女自身が望んだもので、ずっと父親と一緒でした。

以下は、体験後の感想文です。3頁に分けて載せていきます。

 

私の人生と内観療法

平成六年七月二十一日に、私は生まれました。生まれながら、もう私の人生は決まっていたかも知れません。生まれてから十五年もの月日が経ちましたが、この十五年間、私はここへ来る為に、生きてきたといっても過言で無いほど感謝しています。

 今から1週間前の七月十八日に、私はここへ来ました。自分を変えたい。その思いだけを胸に、私は内観を始めました。

私が内観をしようと思った理由を書き始めると、きりがありません。大まかに書こうと思います。

 まず、私が六才の時、両親が離婚をしました。原因は母親の方の問題だったらしいです。

母親は、二十一才という若さで、私をうみました。わずか六年後・・・私が子供を産み、結婚していると考えると、想像もつきません。全てを若さのせいにするのはちがうけれど、私は、若さが根本の原因だったのではないか、と思います。

父親側に引き取られ、祖母と3人での暮らしが始まりました。それから今の母親と再婚するに至るまで、私は甘やかされて育ちました。

欲しいものは全て買ってもらえて、我がまましほうだいでした。

父も祖母も母親という穴を、うめるのに必死だったのだろうと思います。今思うと、あのまま育つとどうなっていただろう・・・と、ぞっとします。

 そして私が小学校三年生の時、今の母親と出会いました。八月八日に二人は再婚し、新しい生活がスタートしました。今までずっといなかった母親ができ、私は嬉しくて思い切り甘えてことを覚えています。

しかしそんな生活も長続きせず、一年後、母親は私に冷たくあたるようになり、訳が分からず私は泣き続けました。また一年が経つと、ひんぱんに、ケンカするようになり、小三の日々が嘘のように、私と母親の仲は悪化しました。どうして私は、母親という存在から愛されないのだろう・・・。そう思いました。

いつだったかは覚えていませんが一番最初に離婚届を見た時に、「私は何で幸せになれないんだろう」と思い、「私の周りはみんな不幸になる」と自己嫌悪になりました。幾つも事件はありました。その度に私は涙を流して謝ってきたけど、心から謝るなんてことは、めったにありませんでした。その時は、本当に悪かったな、と思っていても数日すると、悪かったという気持ちを忘れ、また同じようなことをくり返すのです。そんな日々がずっと続き、今回の事件が起こりました。

取りかえしのつかなくなることをして、私はやっと自分が悪いと気付いたのです。色んな思いがありましたが、とにかく自分を変えよう、反省しよう、そういう気持ちでした。

コメントは受け付けていません。