<<家族・親子>>親と子の心(1)・・・・事件・犯罪

 <<<<まず、総論として>>>

此の世で、何故、人間は{事件}や{犯罪}を起こすのでしょう。

答えは、簡単です。

母親の{胎内}にいる間の胎児への、心の伝播は詳細には説明できないでしょう。

ですが、推定は可能です。

胎内に胎児がいる間に、母親が神経質で脈拍の変動は呼吸の変動を突然に起こしたり、或いは、持続的にでも異常な早い脈や早い呼吸で続いていると、必ず、胎児にも悪い方へ影響する筈です。

 

 血液から見れば、胎児としている間に、母親の病気として、糖尿病や高血圧や喫煙など、また、病気によって高熱などが続くと、胎児の心に何らかの影響を及ぼすでしょう。

誕生時に、先天性の赤ちゃんとして誕生して来るケ―スもあり、大変であろう事は言うまでもないでしょう。

一方で、生まれながらに、先天性疾患で思考能力を持てない人達も居られます。

親の苦労も大変な<<悩み・苦しみ>>の荷物を背負います。

こんな場合では、親がどれほど親の責任として<<荷物を背負う能力が必要で重要か>>などなどにも、関わって来るでしょう。

こんな時でも、親の考える能力さえ十分であれば、大変な荷物を背負いながらも、親自身の荷物の負担の感じ方も違うのでしょう。

 

 上記のような場合は、ここでは別にしておきましょう。

胎児から、新生児として誕生してきますが、誕生に関しては母親も随分と心の葛藤を持つでしょう。

昨今では、胎児として居る時に、胎児が異常胎児か、遺伝子的にも身体的にも、如何な状態かを随分と診断できるようにはなっています。

しかし、こんな状況、胎児として母親の胎内に居る時に、遺伝子を検査する事がどんなものか、<<善と悪の判断>>も沢山の人々の間で判断と判定が分かれています。

検査する事が、人工的流産にも関わってくる場合もあります。

これは、人間全体としての見地から見れば、人間の{優越}と{劣等}を完全に分ける事実につながるのではないかという事ですね。

 

 この地球上から、優勢な優越な人間だけを育てる思想にならないのかという問題です。

 人間として人の生命を何処まで、維持してサポ―トをするのか、しないかの問題が絡まってきます。

これは、高齢者の認知症状や、更に、高齢者の身体状況を見て、病状がひどい場合であれば、どこら辺まで治療を継続するかなどにも、治療者としては考え込んでしまいます。

人間、一体に、何歳まで生きれば、認知症状が絡んで体力も衰弱した場合、何処まで治療して何処まで生命を延長させるかでも、悩むはずでしょう。

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