<<心の世界>>感謝・恩・幸せ(1)

  毎日、人間は此の世に誕生すれば、同じ事柄を繰り返して生きる事になるでしょう。
好きだとか、嫌いだとか、そんな考え方を持っても、とにかく、毎日を働いて過ごすしかないでしょうね。
生まれた以上、とにかく、「宿命」だから、頂いた人生は納得して生きるのが必要なのです。

  ですが、人間って、真に勝手なもので、少しずつ成長してきますと、自分の意志で目前に有る物を選り好みするようになります。
自分を真ん中に置いてから、周囲を眺めます。
好きな物には飛びつきます。
嫌いな物からは、離れようとします。
人間が此の世を生きるのに、自分の好きな物ばかりが有るものではありません。
沢山と嫌な事、好きでもない事に出会いながら、此の世を生きるのが普通の生活なのです。

  時折に、たまたま、運が良くて、或いは、努力して、お金持ちになったり有名になったり地位と名声で、人によっては<<自分の心身を誇大にして>>生きている方達も居ます。
周囲の人達が、彼等を見て<<羨ましいと思う>>か、<<立派な人だと思う>>かでしょう。
他者を褒めてあげるのは良いですが、他者を見て<<羨ましい>>とか<<劣等感>>を持つようでは駄目な人間ですよ。
そんな思いをすれば、自分が悲しくなって自分の人生について<<嘆き悲しんで>>生きる事になるものです。

  「嫉妬」とか「妬み」とか「羨ましさ」とか「劣等感」などにまでなってくると、自分が辛い思いをするだけになります。
こんな考え方や思いをするのも、その人の{{生い立ち}の過程で、そんな{{考え方}}が作り上げられます。
親への思い、地球の全世界中で、子供達にとって自分の親が{{完全なる理想の親}}である筈はありません。
子供達は誰もが、自分の親に対して<<完全なる親>>を求めています。

  しかし、夫婦で互いに{{生い立ち}}が違いますし、だから、それぞれ「人格」が異なっています。
夫婦喧嘩もしますし、子供の目前で夫婦喧嘩しなくても、心の中で夫婦喧嘩をしていますと、親がどんなに子供達に分からないと考えても、子供達は気づいています。
運が悪いと、子供達の最大のPTSDとなるのは、{{親の原光景}}が子供達の眼に映る事です。
現実に、親が注意しながらでも、知らぬ間に子供達は見ている場合があるものです。
悲しいかな、異性に対して<<凄く不潔感>>を持つものです。

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