<<論考>>現在の{{こころ}}4

 自分の過去の{{こころ}}を散策したら、記憶に出て来た事柄を素直に明確に、自分の口と耳をしっかり使って、他者に話をするのです。

これも、他者にと、言っても、簡単に誰にでも「「話」」をする気持ちにはなりません。

 少し話が変わりますが、そのために、随分と、太古から使われてきたのが、「「神」」とか「「仏」」とかが介在しまして、人間の{{こころ}}を変えようとしたのでした。

そう、こんな風に考えた人達が、地球上の東西南北に、適当に現れたと言っても良いでしょう。

 

  たまたま、拡がってきたのが、キリスト教とか仏教とか、その他の「「宗教」」が色々と沢山と有ります。

 ですが、本当に真実に「「人間の{{こころ}}を変えたい」」のであれば、純粋な「「心理療法」」として出来上がった「「内観療法」」が一番に良いでしょう。

 当方、自分の考え方で、「「宗教」」を非難する気持ちは全然と有りません。

世の中には、立派な「「宗教」」もあるし、お粗末な「「宗教」」もあります。

人間が、自分の{{こころ}}を丈夫にし、強くなりたい時には、とにかく、「「三つ子の魂」」を変革しないと、どうにもなりません。

 

 面白いのは、{{うつ病者}}の方々にも色々な人達がいまして、「「うつ病」」になる原因は、沢山の悩みを抱えて{こころ}}が身動きできないために「「うつ病」」になっているのです。

 されど、話を聞いたり、カウンセリングにもって行こうとしたり、或いは、本格的に「「心理療法」」と考えても、当人は全然と{{悩み}}を持たないと答えるし、自分には悩みの「「欠けら」」も無いから、{{こころ}}の話なんかには全くと関心ありません、などと、答えるのですから、悲しいものです。

 時折にですが、そんな人達に出会うものです。

怖いですね、恐ろしいですね。

自分の{{こころ}}が全く見えないのですから、一体に人生において<<何を考えて生きている>>のかでしょう。

 

 こちらから、見ていますと、悩みを沢山と山のように抱えていても、自分の{{こころ}}が見えないのです。

そのような人間には、どうしても、ならないでと願うのですが、目先ばかり眺めて育った人には、こんな見方しか出来ないのです。

 何度か、皆様方に伝えましたが、「「内観療法」」が世界中で一番に良い{{療法}}だと、当方は何時でも考えていますし、今からでも後世になっても「「内観」」が最良だと考えます。

「「三つ子の魂」」を変えるには、「「内観」」しか有りません。

「「神」」に告白しても、告白の{{内容}}が問題です。

自分の苦悩や嘆きの言葉を、「「神」」に向かって、<<告白しても>>、全然と意味がありません。どんな{{言葉}}に意味があるのか、ですね。   

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