<<心の世界>>過去の自分を知る(9)

 何度か繰り返しますが、少しながら地位や名誉の有る人達が、次のように話します。

「「過去を振り返らずに、現在と未来だけを向いて生きればいいのです。」」なんて、言う人達の心の<<愚かさ>>ですね。

そんな生き方が出来る間は、まだ良いのです。

でも、そんな生き方をしていると、必ず、未来において自分の人生の<<迷い道に踏み込んで>>しまうでしょう。

当方、それが絶対に悪いとは、言いません。

でも、同じ未来を眺める事柄に拘るのであれば、自分の「死」をとりつめて欲しいのです。

 

 普通、人間にとって、最大に怖いものは、自分の「死」です。

また、人生を生きる上で、自分の「死」を生身のうちに悟った人は、そんなに大きな人生の壁に衝突しないだろうと言えます。

そう、自分の「死」について、納得していれば、少々の心の葛藤には耐えられるものです。

「己の過去を知る」の最終稿としますが、人生を生きるには、「懺悔」と「無常観」の悟りが最大に重要でしょう。

少し、難しくなりましたが、恐縮です。

でも、この言葉だけでも良いですから、記憶に留めて下さいませ。

 

 「懺悔」・・・自分の過去を振り返らないと、絶対に「懺悔」は出来ません。

「無常観」・・・ここまで悟るには、随分と心身の修行をしないと悟れません。

「無常観」→「無我」→「涅槃」の順序で、人の心は流れて行きます。

仏典の中で、一番に大事な言葉であり、大事な<<悟りの境地>>への心の流れですね。

「無常観」を悟るのは、あまりにも難しいので、精々と「懺悔」だけでも体験されれば、人間は幸せになれますと、言われています。

当方は、宗教には全く信心は有りませんが、それでも、仏教観では、勉強してみると随分と勉強をさせられます。

「懺悔」とは、簡単に人は言いますが、体験しないと「懺悔」の境地に至る事は出来ません。

 

 繰り返しますが、懺悔と、簡単に言っても、それなりの体験をしないと分かりません、。

此の世を生きるには、当方、本当に「懺悔」は重要と考えます。

「過去を振り返らずに、未来を向いて生きる」とは、「懺悔」ができない事になります。

「無常観」を悟るには、未来の未来まで眺める事ですが、肝心の自分の此の世からの消滅には眼を向けません。

自分の消滅を、体で悟る事が、「無常観」を悟る事です。

自分の過去を知る過程で、そんな「懺悔」や「無常観」を悟っているかと問われれば、直ぐに、悟っていないと分かるでしょう。

「懺悔」って、凄く大切、「・・ネット心理療法」で、可能です。

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