<<心の世界>>過去の自分を知る(8)

 自分の心を知るって、何で<<そんな事を言う>>のかと思われるでしょう。

昔にても、西欧では「「汝自身を知れ」って、言葉が有りますよ。

有名な言葉です。誰も皆が知らぬ間に<言葉だけ>が流れています。

仏典では、「知足」などとも、言う表現も有ります。

少し違いますが、どちらも人間の「「欠乏欲」」について、触れているようです。

そう、自分の「「欠乏欲」」について知っておく事であり、適当にコントロ―ルできるべきでありましょう。

 

 多くの人達は、自分の目玉が外界に向かって付いていますので、自分の眼前に「「青い鳥」」を求めて生きています。

何か、良い事ないかなあ!!!、なんて常に漠然とでも考えています。

人間は、幼い頃から、こんな考え方をしながら成長して来ています。

当方が、いつも皆さんに言っていますが、人間は一般的には<<外観様式>>で生きています。

「少数の人間が、内側を見て人を救う」と言う言葉があるくらいです。

己の心を十分に知って、あまり沢山の「「欠乏欲」」を持たない生き方を教えるものと感じます。

 

 人間って、傍目から見ていると、誰も皆が楽しそうに悩みも無いような感じで生きているように、見えますね。

ところが、現実は、全くと違います。

立派に上手に生活しているように見える人達でも、結構のこと自分の心の内側には「劣等感」などを抱えて、自分では捨てきれないで、苦しんでいます。

そして、言います。

「劣等感」は、人生を{生きるバネになる}と自己主張するのです。

「劣等感」は、自分の煩悩が多いため湧き上がって来るものです。

煩悩→自分の心身に{害}を及ぼす考え・思い、などと伝えておきます。

 

 当方、煩悩を持ったらいけないとか、駄目だとか、そんな事を言う積りは有りません。

しかし、その煩悩を抱える<<限界を知る>>べきだろうと考えます。

これ以上、煩悩を大量に抱えると、自分の心身に<<害を生じる>>などの限界が理解できる筈でしょう。

これが、大切なのです。

煩悩って、何ですかと言われる人が居れば、ここで、折角ですから、「「煩悩」」の意味くらいは知って欲しいですね。

詳しく知るとなれば、また、随分と余分な学習が必要となるので、とりあえず、あまり多くの「「煩悩」」を抱えると、自分の心身が疲れ果てて心の病気、心身症や神経症やうつ病などにも、そして、「犯罪」にまでつながる事実を知るべきです。

コメントは受け付けていません。