<<心の世界>>人間像(12)視点を変えて・・・・人間社会を見る

 自分の体から、自分の心を小さくする方法ですね、今回は・・・・。

空間をイメ―ジ出来ないと、少し理解できないかも知れません。

これは、トレ―ニングですからね。

イメ―ジとか、トレ―ニングなどと言うと、やはり、イメ―ジをするか、トレ―ニングするかという、持ち合わせた人間の心次第になるでしょうから、究極的に考えると、心の問題になるかも知れません。

ですが、ここでは、一応のこと、体から~心にして話しましょう。

 

 自分の体を、どの位置におくかという問題にもなります。

自分の体を捨ててしまいます。

早く死んでくださいと言うのでは、ありません。

ですが、体を捨てても、心は捨てないのです。

即ち、人間って、全ての生き物はそうですが、やがては、此の世を去って消えて行くのです。

人間は、そんな生き物ですから、自分の体も沢山と可愛がらない方が気楽で疲れません。

自分の体を大事にし過ぎると、体も疲れます。

実際には、心も同じ状態にあるのですが・・・。

でもね、体が疲れなければ、心も疲れませんからね。

体も限りなく小さなものです。

 

 宇宙の空間の中の、小さなゴミ屑のような小さな眼にも見えない体でしょう。

人間の体って、そんなものですよ。

やがては消えて行くもの、これが宿命・運命・天命でしょう。

人って、煩悩が多きために、自分の体も目立たせようと、無意識的に、<<そうなって>>います。

体が動いている間は{{華}}でしょう。

時には、体の休養も必ず必要ですが、生きている間に、体が有る間に <<どれほど体を使える>>かが分岐点でもあります。

必ず、人は年老いて体も動かない年月が訪れて来ます。

突然に、此の世から消えてしまう場合もある訳です。

 

 現実から逃げないで、全てを生身の体で受け止めるトレ―ニングとイメ―ジが重要なのです。

人生を、時折でもいいから、真剣に問い詰めておかないと・・・、

少し難しい話になっているかも知れません。

木や草に例えると、人間では体は{大木や茎や花}で、心は{根っ子}になるかも知れません。

それでも、自分の体もあまり大きく肥大化しないで考えてもらいたいものです。

そんなに<<良い格好>>他者に見せなくてもいいではありませんか。

その方が、疲れない事は、事実です。

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