<<うつ病>>究極の世界(22)最終回?

 最終回です。

少しばかり難しいと思います。

このブログは沢山の人達が読まれています。

それで、人生の究極の思考体系にも触れておきます。

この項を理解できる人は哲学や宗教学にも随分と理解できている人達でしょう。

この<項>が解らない人達は、少しでも良いので人生の学習をして下さいますようにお願いします。

悩まないで、楽しく人生を生きられるものですから・・・。

 

 前回『無常観』の話をしましたね。

生きとし生けるものは、或いは、命あるものも無いものも、全てのものは時間と共に形や姿は消えて行くという事です。

終末を迎えて消えて滅するのです。

何故にこの様な考え方が必要なのかです。

この意味を解れば、全ての“迷い”は消滅して行くのです。

日本でも昔から、{捨てて、捨てて}と云う言葉があります。

{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}と云う言葉もあります。

自分の心も体も、捨てた積もりになるのです。

捨てた積もり、まあ、体だけは少し残しておいて下さい。

これは、心の世界の物語ですから・・・。

 

 『無我』と言う言葉ですね。

無限の時間(科学的には<宇宙の歴史と宇宙の終末>も紐解かれていますが・・)、永久の時間の流れの中で、人間個人の生命は何と短いものでしょう。

また、宇宙~銀河系~太陽系~地球~日本~自分の今の居る位置、を自分で確認できるかどうかです。

人は、自分の眼を何処に置くかです、ね。

自分の思いを何処に走らせるかです、ね。

夜空の星に行って、地球を眺めてみます。

また、どの位の時間がかかり、自分の生命はどの位の時間を生きているのでしょう。

自分の存在が、限りなく小さい存在だと解ると『無我』です。

自分の周囲の人達や世界の人達、世界の平和さえも希望する様になるでしょう。

 他者から踏まれても、蹴られても、苛められても、納得の行く人生を送られる人となれるでしょう。

 

『無常観→無我→涅槃』人の心は、必ずやこの過程を通って{悟り}の世界に入れるものです。

生きながらの『無我』、『涅槃』も真に楽しいものです。

『無常観』、『無我』、『涅槃』など、時間と空間から考慮をして、体で悟る事が必要なのです。

少しながら、人生を、哲学や宗教学を学問として熟慮して下さいませ。

 

 うつ病者は、薬も大事ですが人生勉強が<より大事>です。

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