<<道徳>>「子育て・教師の責任」(4)

 教師には、子供達の本当の無意識の心の病んでいる所が見えていない。

だから真実に、子供達の病んでいる心を矯正してあげる事は出来ない筈であろう。

顕在意識、潜在意識、無意識、どの心から矯正してあげるべきなのか・・・でもあろう。

今現在に呈している子供達の異常会話や異常行動を矯正するのに、やみくもに直接口言や助言や説教だけで治そうとしても、治るものでは無い筈である。

現実には、話しかけるよりも話を聞いてあげる方向ですすむことが良いが、なかなか喋ってくれない子供達が沢山と居る。

話を聞いてあげる方向で進もうと思っても、簡単に子供達は自分の気持ちを話さない。

また、仮にカウンセリング方式で<話を聞きだして>あげたにせよ、彼等の潜在意識と無意識は解決されないまま残ってしまう。

 

 長年月に渡って「心理療法」に関わっていますが、顕在意識、潜在意識、無意識、どの意識から援助、加療すれば良策なのか・・・です。

人の心の過去の暗闇に、完全に蓋をして過去を忘却してしまうことは無理なのです。

“過去の心”は、何時どんな時でも、人が人生の壁に衝突した時、過去の忘却していた筈の心が肥大化し圧迫してしまいます。

 人は、決して自分の過去を忘れません。

忘れて思い出さないにしても、その思い出さない心が<素早く動き始める>のです。

ここでは、子育てに関わる上で教師にも間接的には責任もあるだろう、と申し上げました。

それは、教師自身が自分の心をしっかりと学習して欲しい、そして、自分の心、人間学など、心の世界の<動き>を勉強しないと駄目だという事です。

教師が心の世界を学習していなければ、自分自身の心を知りません。

だから生徒達の心も理解できないでしょ!と言いたかったのです。

 

 教師が長期間休職し、挙句は教師を辞める・・・、または、辞めたくないけど職場に適応できないから辞める・・・、負け犬で終わるのです。

残りの人生で、また、過去に葛藤を残したままでは“未来の心”が危ないです。

教師も嫌いではないが、格別に自分の目的意識が有って辞めるのであれば良いのですが・・・。

漠然と、「何か別に良いものはないだろうか・・・」で辞めることは駄目ですね。

 

 教師自身も“心の学習”をして、親と子供の心の葛藤を喝破できる人となれば、此の世で怖いものは無くなるでしょう。

如何に問題児に対峙すれば良いかの理解と体得ができているか、です。

問題児の子供の親には、格別に親の過去の心を眺めてもらう事が重要です。

親、自分の子供、問題児の謝罪する姿勢も出て来るでしょう。

そんな親の顔を見て、異常な子供達ほど、親の顔や心の変化を簡単に気づいてくれます。

親と子の過去の<心の和解>、最高のものとなるでしょう。

 

 そこから子供の精神的成長が始まります。

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