<<道徳>>「子育て・教師の責任」(3)

 何事においても人の個人的問題は、厳密に心の世界をしっかりと眺めていると、その人の生い立ちが全てだと伝えても間違いないと思われる。

 最近は、子供を幼い時から託児所に預けたりしているケースがある。

人格が6歳までには或る程度でも完成するとすれば、それまでに託児所や幼稚園時代での心の問題も色々と考えなければならないだろう。

親から、幼い時期に生活の一部を離されたとすれば、その事で“親から受けた心の葛藤”、ともすれば、“心の外傷体験”となり得る場合もありそうである。

世の中の流れというものはどうしようもないのであろう。

 子供達は、親から早く離される事によって、より無意識的にでも“心の葛藤”を蓄積して行くとも考えられる。

実際に、人の一生は胎内を通して誕生から思春期までが勝負と言われるくらいである。

早熟崩壊型、晩期大成型、その中間もあるだろう。

最も、最初から駄目人間で、最後まで駄目人間で終わる場合もある。

 

 当方、人間の価値とか、価値観、などと言う話はしたくない。

どんなに沢山のお金を貯めている人に対して「幸せですか?」と問えば、100人が100人とも「幸福だ」とは返答しないであろう。

お金が溜まったが故に悩む場合もある。

お金を貯めた人でないと、その事柄については理解することが困難かも知れない。

また、名誉や地位などで人間の価値が決まるものでもないだろう。

(先天的にハンディキャップを背負い込んでいる場合は、ここでは除外して話している積もりである。)

 

 誕生したからには、何とか一人で働いて食に在り付ける人間であって欲しいものだ。

家族(夫婦)の形成によって、当然と事情は異なる場合もある。

男性が働いて女性が家族を守る。

女性が働いて男性が家族を守る。

その中間もあるだろう。

 人の心を喝破できる人間になる為には、先ずは自分の心の潜在意識と無意識までを、自分の誕生から知り尽くしておく事だ。

他人が心も体も病む時に、その人達は何かの助言が出来る。

他者にも役立つ筈である。

学校で子供達が病んでいる場合、その苦悩は何処に出発点が有るのか位は知っておいて欲しい。

教師が心の世界について知っておくべきで、子供達自身は何も知る筈もない。

子供達の親に、上手に解決法を伝えるべきである。

 

親と子供の過去の<心の和解>のみである。

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