<<講演>>人の話「会話・行動・心」(7)

 「生い立ちの心」が、全ての基本だと何度も話しています。

しかし、これだけの話では理解出来ないでしょう。

人間の心って、非常に面白いものです。

 

 人対人、人対環境、などの問題であり、生きている自分の眼前でのどんな出来事や他人に対しても、自分が対応できる能力さえ持っていれば充分なのです。

人が成長して大人になり、何らかの仕事や役割などこなし、幾らかの金銭、或いはそれに類するものを得ることが出来て、人は人生を全うできるのです。

天災・天変地異などによって、衣・食・住も出来ない環境に投げ込まれない限りは自分の人生を生きて行く筈なのです。

 

 沢山の人達の悩みや苦しみ、心身症、神経症、うつ病、心と人格の脆弱さ、アルコール依存、非行、犯罪、薬物依存(ここでは、大麻、覚せい剤、麻薬、など)、・・・これらの問題全ての原点は「心」が基盤になっています。

上記の事柄は“異常会話”、“異常行動”、“異常な心”などと言えます。

 人は、此の世に誕生してから心身共に成長して行きます。

自分が成長したくないと思っても、時間の流れとともに「心」は成長しないかも知れませんが、「体(肉体)」は大きくなって行きます。

大人になる事が嫌だとしても見掛けは<大人>になります。

見た目は大人でも人間社会で生きる以上は、社会で仕事や役割を最低限でも“こなせる人間”であり、自分で稼ぎ「衣・食・住」、自立した人にならなければ駄目です。

 

 面白いというか、本当に大変な事なのですが、人は此の世に誕生した時から、自分の親から「心の形」を刷り込まれて育って行きます。

昔から「三つ子の魂、百まで」、「親の因果が、子に報い」などの言葉が言い伝えられていますが、正に“その通り”なのです。

 親から植え付けられた、或いは、植え込まれた“心の形”を「超自我」とも表現されます。

「自我」は、自分の意志で作り上げたものではなくて、誕生以来の成長する過程において親から意見や注意・説教などされて、大脳深くに“親の考え方”或いは“親への反発心”などが刷り込まれて無意識的に自分の現在の心を強迫しています。

 良しにつけ悪くにつけですね・・・。

ですから、親から植え込まれた“心の形”即ち、「超自我」に気づき「超自我」を納得してあげた時に、初めて“親の心から解放”されて、人間個人が人生で自由に自分の心を操作できて生きる事が可能となるのです。

 

 少し難しい表現になりましたが、“悩み苦しむ”などと言う事柄は、「自分の意志で自分の人生を生きる事が出来ない」だけなのです。

 親の考え方、“親も悩める人間だったのだ”と、理解できた時に、人は大きな「心の自由」を得る事ができます。

コメントは受け付けていません。