<<うつ病>>究極の世界(20)

 心、心、心・・・、人間の心って何でしょう。

案外と突き詰めて考える事を人はしないものです。

だから時折に悲劇が起ります。

全く自分の心について知っていないのに、自分の事は自分が全部を知っている積もりで生きているのです。

自分の心については充分に知っているが、他人の心が見えないと、人は良く言います。

人は、自分の心については、がんじがらめに{心の防波堤}を築いて他人から見破られまいとして必死で・・・、そんな生き方をしています。

 

 まとめとして、少し重複するかも知れませんが御容赦のほどお願いします。

人は、この世に誕生した以上、どうしても一人で人生を生きる事は出来ません。

誰かと顔を突き合わせて、何らかの環境の中で生きるしかないのです。

人間個人としては、全ての人を好きになるなんて出来る訳ないです。

全ての与えられた環境を好きになるなんて出来る訳ないです。

好きになったり、嫌いになったり、愛されたり、恨んだり、楽しんだり、悲しんだり、何時も人の心は{表と裏}が動きながら、日常生活を送っています。

 

 あまりにもマイナスの心が多くなると、また、「うつ病」でも強度になれば、幻聴や幻覚の様な体験をするでしょう。

{死神が、袖を引く}という明言ですね。

うつ病者は、悩みが多くなって苦しむと、独りでに死の淵へ・死の谷へと、心と体も引っ張り込まれてしまいしまいます。

 本当は死にたい訳ではないのです。

しかし、辛いから、苦しいから、悲しいから、憂うつで、何で嘆いて生きるのかと、自問自答しながら、心の絡まった紐が解けずに、人の心(=意識)の変性状態が起ります。

自分の心の防波堤は崩壊し、「うつ病」でも心は支離滅裂となります。

 発作的な行動は起こるものです。

うつ病者だけでなく、強度の強迫神経症、強度のパニック症状、強度の躁病者、(ここでは統合失調症は、除外しておきます・・・、彼等も過去に強迫されていますが・・・病気の次元は別にしておきます・・・)などの行動も大変です!

死への衝動と言うよりも、矢張り、死の淵へ自意識を支配できずに引き込まれると言った方が正しいと考えますね。

 

 人は誰もが日常生活の中でも、可能な限り自分の心を知るように注意しておいた方が良いでしょう。

自分の心を知ろうとすれば、日常生活の喧騒から一時でも良いので飛び出して、自分を見詰めて下さいませ。

設定された場所で・・・・・。

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