<<人生>>(21)人生とは

  そう、70歳頃ですよ。
もう、70歳にもなれば、人間の{{こころ}}は固くなるだけでしょう。
例外は、ありますがね。
この年齢でも、人生に悩み苦しみ、自分の人生が如何なるものかを、納得できない場合もあります。

  この年齢でもですね、「「心理療法」」を体験してみるものです。
自分は真面目に生きて来たから、真面目な人間だよと{{自惚れて}}生きている多くの方々は、あまり良い生き方ではないと考えますよ。
人間が悩む場合では、何度も言いましたが、自分の思い通りになっている場合では、誰でもが、私は立派な人間だと思っています。
当方は、どんな学者で有名であっても、或いは、まだまだ、無名であっても、それなりの人間全体の「「人生観」」を持っている方々の方が立派だと思うのですよ。

  「「人間学」」だと伝えても、伝わらないでしょうからね。
「「人間学」」なんて言いますと、何で、なんて言うでしょう。
人間の{{面白さ}}と言うか{{悲しさ}}と、言った方が間違い有りませんでしょうね。
全然と自分の{{こころ}}について考えようとしませんから、人間って、不思議なもの、大変なものですよ。
人間の{{こころ}}を、「「顕在意識」」とか「「潜在意識」」とか「「無意識」」なんて説明しますと、どうして、そんな考え方をしなければ駄目なのですかと、聞かれます。

  自分の{{こころ}}の全部を知っていて、初めてコントロ―ルできるのです。
そのような説明をしても、理解できないようですから、人間の性分は大変なものです。
前回も述べていますが、「「不安障害」」や「「うつ病」」などの方達でも、私には、悩みは何も無いと答える人達が居ますから、大変なものです。
しかしながら、「「内観」」は、人間にとって、誰にでも必要なものです。
どんなに悩みが無い、悩みなどには、私は関係ないよと言う方達にも、素晴らしい勉強になるでしょうからね。
間違いありません、よ。

  「「内観」」は、体験した方達でないと、全く、理解できないので、仕方が有りません。
でも、どんなに、私には無関係だと自己主張する方達でさえ、「「内観」」を体験すれば、真実に自分がどのような人間かを知るでしょうからね。
そうですよ、私にも{{こころ}}の形が有ったと言うでしょうからね。
{{こころ}}の形を理解できる方々では、他者の気持ちも、理解できる筈ですよ。

  もっと詳しく、人間の{{こころ}}を知りたいと思えば、少しでも「「内観」」を体験したうえで、他者に対して、「「内観面接」」や「「カウンセリング面接」」などを、体験するべきでしょう。

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