<<人生>>宿命運命天命使命 「運命3」

 「運命」とは、本来的には、此の世へ誕生後に自分で生きて行く過程で、自分の生きる道は、自分で切り開く、つまり意志とか努力とかで自分の道や自分の命を左右して行く生き方。これを、「運命」と言って良いでしょう。

 

 悲しいとか、苦しいとか、悩むとか、淋しさとか、孤独とか、苛立ち、やきもち、嫉妬、妬み、立腹、不平、不満、怒り、恨み、怨念、呪い、などなど、こんな心を持つ事によって自分が悲しく、情けなくなるものです。

ですから、自分の人生を惨めに生きるか、どうかについては、人間個人の生き方、心の持ち方、感じ方、幸せを感じる能力の問題に、関わって来るものです。

 

 心の{器}、性格の{器}、人格の{器}、18歳までは{自己同一性}とも言われているが、一体に皆さんの{心の形}は、目には見えないけれど、明確に確認して欲しいものです。

 

 人間は誰も、目前に{一定の同じ物}を見ても、見える物を<楽しい>と感じる人もいますし、同じ物を見ても<悲しい>とか<悲しくない>とか感じる人もいますが、この事実が、問題なのです。

 同じ物を見ても、見る人、受け手の、その時の状況ですね、それも絡んできます。

お金持ちの人達は、他人がお金を見せびらかしても、何も<悔しさ>などは感じません。

男性にしても、女性にしても、自分の傍に、美しい女性とか、格好良い男性とかを見たりすると、何らかの<負い目>を感じるでしょう。

 自分は、何故に<そうでなかった>のか。

大好きな恋人と一緒に楽しんでいる人達を、恋人も持たず恋をした体験も無い人が見たら、<惨めさや、無念さや、恨み>などを、相手に対して感じるでしょう。

目前に、互いに仲良く恋愛をしている人を見れば、間違いなく、前述の通りだと確信できます。

 しかし、例外も有るでしょう。

自分が男性を女性を意識する能力を持たない(こんな人は、多分に居ない筈であるが!!!)人であれば、<やきもち、嫉妬など>を感じないでしょう。

でも、所謂、普通の人間からは、懸け離れた人と、考えても差し障りないですよね。

 

 人間世界には、{平等}は有り得ないですしね。

だが、不思議な事に、人間は常に{平等}の意識を求めているものです。

人間は、生まれた時から、全てが平等の出発点になっていませんし、「宿命」でしょう。

お金持ちの親の元に生まれれば、何かをするにつけても、一応、子供もお金持ちです。

 出発点で、お金が有るか無いか、この「宿命」に腹立つようであれば、自分の「運命」の運び方が上手ではありません。

食欲・性欲・睡眠欲・金銭欲・名誉欲、などなど、諸々が満たされていれば、{幸せ}かと、問われれば、関係ありませんよね・・・。

感じる人の心の{器}の問題です。

 

 人は誰も、自分の生き様に、鍛錬が必要で、自分が<不幸せ>と思えば、努力で自分を変える事、自分の道を{運命}を創造するべきです。

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