<<人生>>宿命運命天命使命 「天命2」

  ①、天の命令として解釈して説明しておきましょう。

 

 「宿命」とか「運命」とかに、少しながら<重なって来る>のは当然でありましょう。

「天命」と言えば、むしろ「宿命」とか「運命」を遥かに超えた<力>となる可能性を持っていると、当方では思います。

 そう、天から<命令されて動く>のだから、心の葛藤なんて有りませんよ!!!

人から<命令>されて、自分が動くのであれば、自分は<その人のパセリ役>でしかありませんね。

人間って、自分が主役と考えている人達が多いので、人は誕生して以来が全てパセリ役で生きる事になっていると説明しても、理解できない人達が殆どです。

 

 世間では、格別に、キリスト教とか格別な宗教では・・、その他の宗教観と言った方が早いかもしれません。

個人に何か、不幸とか、マイナスの出来事が降りかかって悩み苦しむ時は、そのマイナスの出来事が、その人にとっての{試練}だと言います。

そうであるから、悩まないで{試練}に耐えて生きる事を伝えています。

格別に、キリスト教では<そう表現している>ようですね。

だが、こんな考え方は、どんな宗教でも<教えられて>いるようです。

 宗教の最上階は{宗祖}が居ますが、宗祖の上に未だ人間には見えない「畏怖と畏敬」の念が存在しているようです。これが、神様であり、仏だと言ってもよいでしょう。

この見えない「何」かを、「天」と言い変えても良いのではないでしょうか。

 

 人間の心理って、面白いものです。

眼に見えるものよりも、眼に見えないもの、こちらの方が案外と都合が良い場合が沢山とあります。

眼に見えるものは、自分の判断で良いとか悪いとか決め込んでしまいます。

 ですが、眼に見えないもの、こちらは、人間が自分の眼で確かめるのは難しいです。

{眼に見えないもの}に、畏怖と畏敬の念を持って<使命感>を背負いながら生きると、それなりに人生は気楽にはなるでしょうが、{そういうもの}を自分で信じられるかでしょう。

運が悪くて、解釈を間違えると<変な道へ迷い込む>可能性も沢山とあるでしょう。

 

 一般の大衆は、何となく一層懸命に生きている積もりでしょうが、視野が小さいので大変でもありますね。

人生とは、何か??なんて考える人達の少ない事、甚だしい様です。

沢山と心の葛藤を抱えていても、私には<何も悩みは無い>と自己主張する。

「天命」だと教えても伝えても、大衆は一向に{その言葉}に耳を傾けないのだから、人間って不思議な生き物です。

{万物の霊長}なんて、とんでもないと当方は考えさせられています。

 

 人生を、何のために生きるか? 誰のために生きるか?です。

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