<<自殺対策>>「自殺対策」について・・・10

 「「死」」が、生きとし生きる人間にはぶら下がっています。
それでも、なかなかと、「「死」」を見つめようとしません。
悲しい人間の「「姿」」ですが、これが、でも、現実ですからね。
どんなに高齢にまで生きても、長く生きれば生きる程に、人間は色々な{{病気}}にもなりやすいし、最後には、{{認知症}}にもなってしまいます。

 仮に、自分は認知症ではないと考えても、他者から見れば、凄い程に「「認知症」」になっている方達も見られます。
或いは、「「認知症」」とは言えなくても、随分と頭の回転は弱くなっていますよ。
大変に興味あるのは、一般社会の人達には、人間が死ぬ事を生身のままで「「悟る」」事は、大変に難しいでしょう。
そんな事が分かっても、何も役立たないと言う人たちも確かにいるでしょう。
だが、現実にですが、生身のままで、「「死」」を悟るのが最高の境地です。
「「死」」を、生身のうちに悟った人でないと理解できないでしょう。

 「「無常観」」と言いまして、有名な言葉ですが、あまり、皆様方は知っておられません。
ここまで、人間の「「一生」」を悟ると、「「自殺」」なんかはしないでしょう。
お住職さんも、「「無常観」」については、なかなかと悟れません。
医師も精神科医や診療内科医を含めて、「「無常観」」は悟るのが難しいでしょう。
言葉では、理解できても、体で理解できない世界があるものです。
自分の命が欲しいと思う間は、「「悩み」」や「「悲しみ」」や「「苦しみ」」や「「嘆き」」や「「不満」」や「「嫉妬」」や「「妬み」」や「「恨み」」や「「憎しみ」」などが起こるでしょう。

 そんな人間にとって、マイナスの{{こころ}}が溜まれば溜まる程、己は疲れてきます。
多く皆さんが、「「死」」については「「話」」をするのを避ける傾向にあるみたいですが、時には真剣に「「話」」をする必要があると考えます。
人間は誰も、自分の親に対して、全くと、「「不満」」や「「怒り」」などを持たないで生きられるかと言えば・・・、時には、自分の{{こころ}}と「「生き様」」を確認しておかないと、頭の表面だけで「「言葉」」を語っても、あまり意味がないでしょう。

 人間世界で生きる事のためには、人間世界の「「矛盾」」とか「「不公平」」とかを、認める事も必要でしょう。    
正真で真面目に生きると言っても、所詮、人間は生物を食べて生きています。
それでも、素直にして自分の「「生き様」」を眺めないと、人間の愚かな「「生き様」」を理解するのは、難しいかも知れません。
自分以外の他者に対しても{{有り難さ}}とか{{恩}}を感じる事のできる人間は、「「自殺」」なんかは決してしないでしょう。 

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