<<人間の犯罪>>他殺(4)

 自分が育てられる過程で、母親や父親の居ない場合では、恨んでも、恨んでも<<どうにもならない>>場合があります。

育てるのに、両親の代わりに、祖父母が育てる場合もあります。

 子供達は、物心がついて来る毎に、両親に対して「「不平」」や「「恨み」」が膨らみますが、子供ながらに<<どうにもならない>>事が、理解できるでしょう。

従って、子育てをしてくれる祖父母に対して、満足できるかが、問題となります。

祖父母が育てる場合では、矢張り、上手に育てないと、後々になって大変です。

 

 矢張り、子供達がある程度に成長してから、祖父母に対しての{{こころ}}が良きにつけ悪きにつけ、大きくなって来ます。

格別に大変なのは、子供達が成長してから、どのくらいに「「安定した生活」」が出来ているかどうかで、{{こころ}}の鬱積した気持ちもそれなりに違う筈でしょう。

 祖父母が、お金持ちだったり、或いは、一緒に住んでいるか離れて住んでいるか、子供達が結婚できているか出来ていないかでも、全然と違ってきます。

結婚していても、その後にして、離婚する場合もあるでしょうし、その場、その場で、人間の{{こころ}}は周囲の環境とか自分の作り出した環境などにも、{{こころ}}が捕らわれて生きる事になります。

 

 祖父母から育てられた子供達が、お金持ちか貧乏かなどにても、子供達の祖父母にたいする「感情」は全然と違います。

貧乏な生活をしていれば、人間は誰でもが<<お金を欲しがる>>ものでしょう。

程度の「「差」」は有っても、勿論、人間によっては{{欲望}}には限りがありませんから、まだ、まだ、金銭が欲しいと思ったり、まあ、良い人間であれば、あまり金銭に拘らずに生きる場合もあります。

 「「金銭」」に拘らないと言いながら、自分には<<上手に金銭を貯める能力が無い>>と認識できて納得している人達も見られます。

また、その逆もあり、金銭を貯める能力を持たないが故に、努力もせず、切磋琢磨もせず、他者から金銭を収穫しようとする人間に育つ場合もあるのです。

 

 祖父母が、その時に、どんな状況で生きているかにもよって違うものです。

祖父母に、沢山の年金が入って来る場合では、そして、祖父母の生き様には十分に年金が余って困るくらいならば、周囲に苦労して育った人間には「「金銭」」が欲しくなるものです。

 たまたま、何かの「「切っ掛け」」で子供達が貧乏していますと、祖父母の余っている「「金銭」」が欲しくなります。

これも、子供達の「「生い立ちの{{こころ}}が動いて」」そんな歪な気持ちを引き起こしてしまいます。

祖父母に対する「「祖父母殺し」」の場合について・・・ですね。

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