<<不透明な道>>不透明な道(21)

 殆どの人達は、<死なない>と仮定して日常生活をしています。

「死」を受け入れて、何時も心に留めておく方が人生を気楽に生きる事ができます。

それでも、元気な間に自分の「死」を納得して下さいと伝えても、あまりにも無理があるものと、思われます。

 誕生してから、自分の未来を自分の希望通りに出来れば、良いでしょうが、全くと人生は<自分の予期しない事柄>ばかりが起こります。

自分の未来で、何歳で<どんな人間>、地位や名誉や金銭なども、自分の希望したようにはなりません。

自分の理想とする恋人にも、巡り会えないままで終わる場合もあります。

 

 いや、それよりも、胎内で死亡、誕生後にすぐに死亡、乳児で死亡、幼児で死亡、学童時に死亡、思春期に死亡、~~~~何歳で自分の{死神}が自分を襲ってくるか、知ったものではありません。

 自分の人生を生きる事で、どれほど、楽しい思いをして幸福に生きるか、悲しい思いをして生きるか、分かりません。

楽しい思いや幸せで生きている積りでも、何時のこと、外的条件で自分の生命を失うかも分からないのです。

運が良くて、高齢者にまでなっても生きていれば、色々な病気にもなり易いし、自分が{どんな病気に襲われて}、{どんな病気で生命を落とす}かも知る事は出来ません。

 

 どんなに、金銭、名誉、地位を得て有名になって<喜んだ積もり>でいても、自分の終末と終焉を知った時は、悲しくなって気分は落ち込むでしょう。

唯、唯、何人も、これで自分の生命が終わるのだと、体で理解できた時には、一瞬であっても<<嬉しく、至高体験>>を味わう人たちが案外と多いようです。

 本当に、自分が此の世を去ってゆく数時間前とか、1日前とか、直前とか、{涅槃の気持ち}になる人達も案外と、よく見られます。

そう、一瞬でも、自分の過去を振り返った時には、尚更に、これから死んで行く人達には、本当に<幸せ>感じますね。

「死」の直前 に至るまでに、沢山の様々の苦痛と孤独を<<受容しなければならない>のが、大変なのです。

 

 人生が、何人にとっても、不確定、不確実、不透明です。

明確に生きている積もりの人達が、沢山と見受けられますが、人生の全体像については、皆さんが勉強しないままで、{{煩悩}}のみを使って生きるので大変です。

 自分の人生は、こうあるべきだ、なんて考えて決定して生きる事をしない方が良いですよ。

不確実な世界、{不透明な道}を生きる事しかないので!!!、

自分の生命が不透明な故に、逆に、常日頃から、精進をして可能な限りの努力をしなければなりません。

「インタ―ネット心理療法」の体験で、理解できますよ。

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