<<論考>>現在の{{こころ}}2

 人間は、今が満足できれば、それで良いものでしょう。

勿論、一寸の先が{{{暗闇}}ならば、悲しいでしょうが、あまり真剣に自分の人生を見ないわりには、眼前だけは、案外と拘ります。

 だから、人生の全体像ですね、生きる事や死ぬる事が明確にできる人達は立派な生き方ができるでしょうが!!!!!!・・・・・。

立派に理解したようでも、「絵に描いた餅」では意味がありません。

理解したと思う事と悟っていると思う事は、「「次元」」が違います。

 

 勿論、当人が勝手に{{悟っている}}と言っても、見る人間が見れば簡単に、その人が幼いか成熟しているかなど、{{こころ}}を喝破できるものです。

本当に<<人生を悟っている>>のか、いや、そうでないのか簡単に見破る方法ができます。

 面白いのは、人間って、「「食事だけ満足」」すれば良いとも言いましたが、本当は違うのです。

「「食事」」に満足できれば、次のものを欲求するのが人間です。

多くの場合で、「「名声」」とか、更なる「「金銭」」とかですね、次の{{欲求}}を求めるのですから、大変な生き物です。

 

 「「名声」」が手元に入れば、或いは、好みの好きな「「異性」」を求めたり、あらゆる状況で人間は新しい物事を求めて、案外と<<災いを引き>>おこします。

何時も、人間はそんな考え方をしますが、勿論、現在の今、{{食べる事に、一生懸命になっている}}場合などでは、あまり余分な事柄を考えません。

 考えないと言うよりは、目先の今の状態だけで{{考え}}が一杯なのです。

「「欠乏欲」」とも、言います。

人間の「「欲望」」には、限りが有りません。

一つでも自分の求めていた物事が手元に入ると、次の「「欲求」」を、また、拾い上げて追い求めるのです。

 

 時折ですが、「「五欲」」の話を致しますと、自分にはそんな「「欲求」」は全く関係有りませんと、言う方達も居ます。

そう、当方には{そんな表現をされる人達の気持ち}も理解できます。

自分で気づかない事柄や考え方を、当方は他者の気持ち思考体系を喝破できます。

それを、当方は{{皆が少しでも、「「こころ」」を学習すれば理解できるようになる}}だろうと、伝えたいのです。

 本当に、誰もが勉強さえすれば了解できるし、人生を生きるのが気楽になりますし、楽しくなるものです。

自分の「「欲望」」を満たせない時には、如何なる考え方をするか、それだけを明確にしておけば立派な人間でしょう。

{{こころ}}を学びましょう。

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