<<人生>>人生への理解(7)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

此の世に人として誕生して来たからには、いや、誕生する前から、そして、新生児、乳児、など時代を過ぎて、やがては大人になって社会で仕事しなければなりません。

何も仕事、或いは役割も全然としないで、人間世界を自立して生きるのは不可能ですね。

 

人が、人間社会で生きる事は、誰かと顔をつき合わせて生きるしかありません。

乳児の時から、お乳を飲ませてもらえずに、そして、母親に充分に面倒を見てもらえずに、乳児の時代から無意識的にでも、母親を拒否するまま育つ場合もあります。

 

幼児期になれば、母親は勿論のこと、父親に対しても、親の言葉使いや顔の表情、スキンシップなどで、親を信頼できるかどうか、これが、他人を信頼できるかにも関係してきます。

 

幼児の時から、親を信用できずに、友達も居ないために、動物などへ自分の心を向ける場合もあります。格別に幼い時は、植物によりも動物へ心を向ける場合が多いです。

 

勿論、子供達は、親が好きでも、動物へ興味を持つ事も当然でしょう。自分達の見知らぬ世界に目を向けるのは、当然です。親の代わりに、動物を依存対象としなければ、良いです。

親への愛情不足のためか、心の底での愛情欠乏のため動物に興味を引かれるかは、心の底では全くたくさんの問題が動いているので、本当に要注意です。

 

小学生や中学生では、本来的には、人間との付き合いが本格的に始まっていますので、どれほど、人対人との調和を自分で取れるかどうかが大きな問題ですね。

 

この対人関係の心の問題は、高校生や大学生になっても、必ず、後を引いて行きますので、幼少時から、この後の時代の生活で、人付き合いも厳しい程に大切ですね。

 

ある程度の年齢になれば、どうしても、人間は自分で働いて何がしかの金銭を稼いで生きる事が、誰にも必要なのです。人対人、人対環境については、後述しましょう。

 

人は、誰でも良いですが、可能であれば、自分の本音で話し合いの出来る人が、一人でもいいから、必要なのです。悲しいとか、嬉しいとか、日々の出来事でも、昔の出来事でも構いません。

本音で話せる友達が居ないが故に、人生の{苦}は起こりえるようです。

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