<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(3)

 人間が、自分の過去を回想して「「懺悔」」などと、簡単には表現で

きますが、真実に大脳のどの部分が如何なる状態で細胞単位や或いは細

胞群が動いているのかは、まだまだ、不確定ですね。

当方、簡単に「「海馬」」だと伝えた{{記載文}}も書いていますが、「「海馬」」だけで考えてはいけないようです。

しかし、己の過去を回想してから、「「反省」」とか→「「懺悔」」に到る過程は、何処までも自分の過去を掘り起こすのが重要でして、「「海馬」」に拘らずに大脳のどの部分でも良いから、過去を振り返りましょう。

 

 そう、極端な表現になるでしょうが、大脳の何処の部分を使っても良いでしょう。

 間違いないのは、前頭葉だけは使用しなければならないでしょう。

前頭葉を通して、過去の記憶にまで、自分の意志が届いてからが出発点となるでしょう。

「「海馬」」~「「側頭葉」」、その他の明確な大脳の記憶場所は明確でありませんが、これよりも奥深い「「記憶」」の場所は、今後の生理学者に任せておきましょう。

これからの未来において、何時のこと、何処まで「「こころの記憶」」と大脳の記憶装置の「「場所」」が明確になるのかは、当方にも厳密には不確定でもあるように思われてなりません。

 

 「「海馬」」だと言っていましたが、最近では、「「海馬」」は比較的に新しい過去の記憶が蓄積されており、その後は側頭葉に記憶が古くなれば記憶されて蓄積されていくともいう話があります。

まだまだ、今後において、更に、明確になって来るのだろうと思われる段階でもあるようですね。

どちらにしても、人が「「過去の記憶」」を回想する場合、前頭葉を使用して過去の記憶に達しなければ無理である事には間違いありません。

前頭葉を使用して、未来だけを考える事は大変に{{人生を生きる事に無理}}があるので、「「過去を振り返りながら、自分の心・性格・人格などを確認しながら」」、自分の前方を見る事で、ありましょう。

 

 自分の力量・実力・能力などについて明確に知っておかねばなりませんが、「「過去を振り返らない限りにおいて・・・」」、そんな自分の{{こころ}}を知る事が不可能ですからね。

人間の「「過去の記憶」」って、沢山の思い違いもあるし、後から考え直すと<<もう少し別の考え方>>をしなければならなかった、などと、様々な考え直しが必要だったと気づくのでもあります。

この「「新しい気づき」」が最高に、大切ですね。

そして、「新しい気づき」を得る事で、人間の人格は変化していきますし、新しく「再生」と「新生」を得て生まれ変わって生きていけます。

「「記憶」って、大事なものですから、再解釈しておきましょう。 

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