<<未分類>>「記憶」3

 幼児から生徒へと、幼稚園から小学校に入り、家族以外の沢山の人達と会う事になります。

見知らない他者と【会話】したり、一緒に【行動】したり、みんなと【心】を合わせたり、そうできないと皆と一緒の生活が出来ません。

両親の[因縁]で誕生して来たものの、保育園や幼稚園や小学校に入るまでの、皆が誰も今の現在に至るまでの{生い立ち}、もっと理解し易く言えば{母も父も違うし、両親の片方が居ない場合、両親も居なくて、祖父母や、実の親でない人達に育てられている場合}もありますからね。

 

 何度も繰り返しますが、両親が居ても、両親の人格・心がそれぞれ違います。

だから、子供達も皆が各々において<それなりに心の形は違います>よ・・・。

心は、見えませんけれどね。

保育園~幼稚園~小学校までにおいて、集団、或いは、グル―プの中で如何なる「会話」、「行動」・「心」などが動いて、どんな風に、より年齢を重ねて成長していくかでしょう。

この期間の各自の{心模様}が、何時までも変化を変え、人が自分の人生を<生き続ける限り>において、心の葛藤を持ち続けてしまいます。

人間が、人生の{悩みの壁}に衝突した時は、幼少時に積み残した「固着」を抱えた年齢にまで、人の心は<幼児かえり>すると言われます。

ですから、人の心の治療を厳密に{再生}させるためには、幼児の時にまで遡って<心の固着を解決していかないと、本当の治療はできないでしょう。

 

 普通では、人が悩む場合では、よくカウンセリングなどという言葉がありますよね。

でも、カウンセリングだとね、小学3年生くらいの心まで、過去の「記憶」を回想できるか微妙です。

仮に、過去を回想できたとしても、その人の<心の反転>を得る事は不可能と思われます。

人が人間世界を生きる事は、常に、新しいストレスを自分の大脳の中の海馬に、気づかないままで新しい葛藤を溜め込んでいますから、自分では気づかない心の葛藤が海馬で、何時も心が揺れていますし、揺れながらの心の葛藤を構築しています。

その構築の様子も、表現ですれば、心の形が見えないにせよ、大きな石が富士山のように、或いは、ピラミッドの様に三角形で居座っているのが最高でしょう。

ですが、段々バラバラの様に常に壊れるような形で海馬に積もって構築されていますと、ちょっとした事柄でその三角様の形は崩壊して壊れ落ちてしまいます。

 

 {うつ病}なんかでは、薬だけで治療しないで欲しいと、断言しておきますね。

心って、意識って、今の現在の心は、必ず、自分の過去の心に裏打ちされているものです。

思春期~青年期~成人期~壮年期~老年期~超高齢期~~終末などと、心が余程に痴呆症でなければ、このような段階で<人の心>は少しずつ変化するものではあります。

でも、周囲の人達が困るのは年齢を重ねて{幼児かえり}する人です。

【幼児かえり】しないために、「・・心理療法」の体験です。

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