<<インターネット心理療法>>続編(3)

 そう、人はどんなに偉そうな事を言っても、所詮、人間社会でしか生きる事が、できません。

 私は、賢い偉い人間だからと言っても、周りに<他者が居る>から、そんなに思えるのです。

自分の周りに、他者が居なければ、人は<<孤独そのもの>です。

面白いのは、人の中で、人間世界で、悲しいとか、辛いとか、苦しいとか、嘆きながら生きています。

 

 けれども、人って<孤独>に弱いですよ。

人間が嫌いならば、奥深い山奥に独りで入るとか、大海原の絶海孤島に独り住んだらなどと、言っても、誰も山奥や孤島に一人で喜んで、生きる人は居ないのです。

必ず、嫌だとそんな事は出来ないとか、拒否反応をしめします。

では、人を好きになって下さいとお願いするのですが、それも嫌で嫌いだと言うのです。

悲しいですよ。

人間って、本当に自分の好み通りに生きたいのです。

大変、ですよ。

 

 人間社会に誕生して来ると、自分の好きな通りには生きる事ができません。

{{因縁}と{{親}の「宿命」を背負って生きるだけみたいです。

けれども、沢山の人達が<自分の心>見ようとしませんから、<<我がままな自分で、人生を生きる>>事になります。

自分が、どんな人間か・・・、その自分の心の有り方について、自分自身を知っておかないと、大変ですよ。

あれが欲しい、これが欲しい、自分の欲望だけを求めるから大変なのです。

 

 私は真面目人間って思ってる人達ほど、自分の心の裏側では、案外と{劣等感}や{人に対する不満}を持っていますよ。

不満、悔しさ、悲しさ、惨めさ、妬み、嫉妬、恨み、憎しみ、怨念、などなど抱えていなかったら、人生を生きるのが気楽になりますよ。

 

 沢山の人達が、言いますよ。

心は、形として見えないから、難しいって言います。

形が見えない人達は、自分の心の形が見えませんし、即ち、自分に対して気づきが悪いのです。

 

 自分の心の<<形>>って、やり方によっては簡単に見えますよ。

自分の心が、どれほど狭いのか、どれほど大きいのか、どれほど歪なのか、どれほど本当に綺麗なのか、どれほど他人の事柄を素直に受け止めているのか、どんな状況で拒絶しているのか、どんな環境で自分は共感しているのか、妥協しているのか、受容しているのか、心の形を調べれば、直ぐに理解できます。

 

 「・・ネット心理療法」で充分です。

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