<<投書>>{投書・続2}

 「あなたの存在観を、描いてください。」  何も・・・描くことができなかった。

 私は一週間、心の病を治すため、治療をした。

それは簡単ものではなく、逃げ出したくなるほど辛いものだった

でも最終的に私に残ったものは、苦しみでも悲しみでもなく、今までに感じたことのない、大きな大きな感謝の気持ちだった。

家がある、部屋がある、ご飯がある、服がある、学校へ行ける、友達がいる、親がいる、そして今ここに私が生きている。

その他たくさんの「当たり前」が決して当たり前でないことを、心の底から知った。

そのどれもが、本当に奇跡だと思った。

私の大切な人達が生きてくれているだけでも十分に幸せなことだ。

なのに、私はどれだけのことを、してきてもらっただろう。

また、私はその人達に何をしてきただろう。

誕生日に、「生んでくれてありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。」と、思ったこと、言ったことが、一度だってあっただろうか・・・。

「ありがとう。」なんて、言葉を覚えた子供にだって、簡単に言える。

でも、「ありがとう。」という言葉を理解し、心からそう感じて伝えることは、想像以上に難しいことなのだ。

「いつもありがとう。」というたった八文字の言葉の「本当の意味」を理解し、それを伝えるまで、何故十五年もの月日がかかったのか。

それを理解したその時、私の目から、大量の涙が止まることなく溢れ続けていた。

ただひたすらに、「ごめんなさい。」と「ありがとう。」を繰り返し繰り返し、声にならない声で泣きわめいていた。

 私には、どうしても整理のつかない問題が残っていた。

実の両親のことだ。

子供の素直な意見としては、やっぱり両親には仲良くしていて欲しい。

どんなに幼く、言葉が分からなくても、子供はとても敏感に両親の感情を察知する。

でも、子供だって成長していく。

子供ながらに大人の事情を、嫌でも理解していかなければならないのだ。

私の両親はお互いに嫌いあっている。

少なくとも、子供である私にはそう見えるからだ。

子供は決してどちらの方が好きだとかはないと私は思う。

両親共に私は素晴らしいな、と思うが、お互いダメなところ、嫌いなところしか見ていない、・・・というか見ることしかできない。

考え方を少し変えれば・・・と子供は不思議に思うが、大人はそう簡単に上手くはいかないのだと知った。

誰にだって許すことのできない人はいる。

両親には仲よくして欲しいけど、そんな我がままを言っていられない。

私は治療する中で、やっとこの問題を自分で解決することができた。

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