<<心の世界>>不思議な人達 9

 多くの人達が、人間世界を生きるのに<悩みながら>生きるものです。

しかし、面白いって言うのか、嘆かわしいって言うのか、悲しいって言うのか、素晴らしいって言うのか、色々な見方が有りますよね。

 視点を変えれば、同じ物が、別の物に見えて来るものではあります。

他者が見れば、素晴らしい物に見えても、別の人達が見れば全く無感動の物に見える場合も有るでしょう。

 

 地球上なんて、当方から見れば、限りなく小さい物体に見えます。

だがね、一般の庶民の人達は誰もが、地球は大きいと言うでありましょう。

これは、唯、唯、人の見方、人の考える「器」の問題であります。

そこで、人生が楽しいか、楽しくないのか、などについては、その人が自分と自分以外の人間や環境について如何に考えるかの問題になってきます。

何を見ても、楽しい、嬉しい、喜ばしい、などと感じる能力さえ有れば、人生は楽しくなるし幸福にもなるでしょう。

 でも、誰も皆が悲しい出来事、どんな立場から見ても<人として、悲しむべき事柄について>、そんな状況に出会っても{悲しい出来事}だと感じる感性や能力が無ければ、これは、また、人間として失格になるでしょう。

 

 大変なのは、地球上の人間が、皆、民族や集団によって宗教も違うということです。

宗教が違えば、民族が違えば、それぞれの考え方や物の見方が違う事が多いです。

この事柄については、本当に大変です。

 しかしながら、普通の社会生活にて、同じ出来事に衝突しても、ある人は悲しい、ある人は悲しくない、と思う場合もあります。

皆が悲しくない事柄を、悲しい出来事として考え込んで{うつ病}などになっても、あまり褒められた事ではありません。

皆が悩まない事を、自分一人だけが悩むのは、心が疲れて体も疲れます。

そうだから、病気にもなります。

 

 人の社会そのものの中には、{平等}はありません。

自分だけが不幸だと思うのが、<うつ病>の始まりでもあります。

人は、誰も皆が生きていますと、時には悩むものです。

人は誰もが悩むのが、普通なのですが、その悩みを自分でコントロ―ルできるか、コントロ―ル出来ないか・・が・・分岐点です。

一方で、どんな事柄が自分に衝突して来ても、人生の途上では<こんな事もある>よ、と考えれば、悩まない筈です。

 

 「人生とは、何か」を悟る、勿論の事、「宇宙~銀河系~太陽系~地球~日本~自分の居場所~自分の存在」これが体得できれば、悩む事は無いでしょう。己の存在は、周囲から<生かされた存在>であり、無我の境地となり、拘らない人になるのです。

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