‘不透明な道’ カテゴリーのアーカイブ

<<不透明な道>>不透明な道(7)

2011 年 6 月 28 日 火曜日

 成人式が終わると、通過儀式ですよ。

自分で働いて、自分で幾らかの金銭を稼ぎ人生を生きる事が必要です。

 面白いのは、いや、悲しいのは、人は誰しも殆ど全ての人が自分達の目前に、自分の好きな物事を追い求めて生きています。

或いは、自分の好みの環境に入って行こうとします。

一番に大切な事を、気づかないままですから、この辺りが怖いです。

自分の力量を知らず、実力を知らず、そのままで生きるのですから、

当人も必ずストレスを感じながら生きる事になります。

 

 力量、実力、などなど、この自分については、どうしても、自分の心を知っておかないと解決できません。

ですが、この解決法を理解しておかないと、何も解決できません。

喜んで楽しんで生きている積もりですが、{不透明な道}を歩く事になります。

 後になって、過去の自分について、後悔したり悲しんだりで過去に囚われて生きるようになります。

過去に囚われている自分に気づいて悩んだり苦しんだり、これがPTSDなどと言われる事柄につながってきます。

実際に囚われている自分に気づいている人も居れば、囚われながらも

全く気づかない人も居ます。

 

 過去に囚われていると、説明して教えてあげても、伝わらずに逆に立腹する人達も居るくらいですから、大変に困ります。

人間って、そんなものですよ。

当方、随分と{心の世界}については、「人生=心」は、同じって感じで生活していますが、よく勉強してきました。

 そこで、人間社会を眺めていると、悩み苦しみ悲しみ孤独を感じながら、他者に不満や不平を持ち、時には、恨みや怨念までを抱えます。

このような思いも、自然に自分が抱えるので、抱えていても気づかない人がいるのは無理もないのですが、そんな心理状態で生きていると、

疲れ易いし楽しい人生を過ごす事は困難となります。

 

 彼等は、皆が自分の人生を知って生きている積もりですが・・・、

現実には、自分の深層心理を気づいていないと、{不透明な道}を歩いている事になるでしょう。

可能であれば、人生は喜び楽しみ仕事をして生きるものでしょう。

 何度か、先述していますが、「四苦八苦」の意味でさえ、知らないで社長業をやっている人達も沢山といます。

「四苦八苦」の意味を知らない事でさえ、{不透明な道}を歩いているのです。

心の勉強、心の修行をしないと、人間世界は見えません。 

<<不透明な道>>不透明な道(6)

2011 年 6 月 25 日 土曜日

 人は、ともすれば、自分の道をしっかりと歩いていると、思っております。

小学、中学、高校、なんて、まだまだ若くて世の中は見えません。

勿論、時折ですが、例外的な事は有ります。

 小学生では、まだまだ、世の中の事柄について全く理解できません。

それでも、一生懸命に{自分の道}を歩いていると思っている人達が多いですよ。

よく、人生は一寸先は<真っ暗闇>だとも表現されています。

それでも、自分の未来に自分なりの希望や目的を抱えて生きるのです。

 

 中学生でも、まだまだ、自分の先の事は、明確にできません。

人によっては、どんな人間になりたいとか、どんな職業に就きたいとか、などの希望というか目的を持っている人達も居ます。

だが、見掛け倒しの目的の人も居れば、一生懸命に自分の可能性を求めて真剣に頑張る人も居ます。

 それでも、当方から見ていると、もう少し今の自分の道を<幸せと感じながら>生活して欲しいと考えるところです。

自分の深層心理を知りながら生きることなんて、この年齢では無理でしょう。

行き当たりばったりで、生きるのが、この年齢でもあります。

 

 高校生になると、かなり、自分の将来を考えないといけない時期になっていますが、一部の生徒さんは自分の目的意識を持って生きる場合もあります。

唯、人間って、その場その場の状況に流されるし、また、状況に合わせて生きるしかないのも事実でしょう。

 人間は、本来的には何も持たないで生まれて来ます。

ですが、自分の目前の欲望にかられて<青い鳥>を求めて生きます。

全体像が、見えません。

この全体像については、所謂、正常だと自負している人間さえも、見えていないと考えます。

まあ、成人、大人、高齢者の話は後回しにしておきます。

 

 面白いですよ。

人は、自分の生きる道を、真剣に自分の道だと思いながら、一方で、心の底に不満を持ちながら、生きるのですから、不思議でもあります。

真実なる{自分の道}を歩きたいのであれば、最初に、自分の潜在意識や無意識を開拓した上で生きる事です。

そうでないと、みかけの幻想感に囚われながら生きる事になります。

 子供達、小学生、中学生、高校生であれ、それなりに、自分の力量を知りながら生きる事が、凄く大切です。

{不透明な道}を歩かずに、自分の生命を燃やして生きる事、凄く大切なのです。

それでも、当方が伝えても、届かないのです。

心身症、神経症、うつ病、犯罪などは起こさないためにです。

<<不透明な道>>不透明な道(5)

2011 年 6 月 24 日 金曜日

 小学生頃になると、色々と自分の自己主張をしたくても、恥ずかしくて出来なかったり、また、言ってはならない事まで言ったりと、諸問題が表面化してきます。

小学低学年と高学年とでは、かなり心のズレが有りますが、当然です。

 ですが、人間って、小学前から、自分の親や周囲の人達にも結構と<嘘を言って>いたり、会話も行動も案外と意識しながら化けているものです。

しかし、この事実は、確実に自分の過去を振り返った人たちでないと理解できないかもしれません。

 

 これは、心が化けている事になりますが・・・。

悲しいのは、惨めなのは、自己中心的な状況で「会話」と「行動」と「心」を化けたままで育ちますから、この事実が成長して大人になって<<歪な状況>>として顕現されます。

ですが、当の当人は気づいていません。

勿論、大人になるまえにも、沢山の子供達が<<いじめ、非行、暴力、拒食&過食、などなど>>で、明らかに表面上に問題となる現代社会になっています。

 

 客観的に観察しますと、可笑しげな発言、怪しげな行動、なども全てが、過去の心(厳密には、過去から~現在に至るまでの心)が、今の自分の心を操作しています。

当人は、何故に、今、自分がこんな会話とか、こんな行動などを、或いは、何故に、こんな考え方をしなければならないのか理解できずに、悩んでいます。

結局、自分自身が、自分の不確定な道、不確実な道、{不透明な道}を歩く結末となってしまいます。

 

 人間世界生きていると、色々様々な生き方、生きる道が有ります。

けれども、決して自分の思う通りにならないのが、人間社会です。

悩んで、その悩みから逃れられない場合はですね、自分には{この道}しか無いと考えます。

 人には沢山の道が、石畳のように沢山と敷かれていますよ。

自分が、自分の間違いない道を歩いている積もりでも、案外と、間違った道を歩いている場合は、多いです。

客観的に見れば、{間違った道}を歩いている人が居るのですが、彼等は{不透明な道}を歩いているのですが、時には{正義の道}を歩いていると思っている人達も居ます。

 

 自分では、何故に、今、こんな考え方をして{悩み}や{苦しみ}を抱えるのかと嘆いている方達も沢山と居られます。

自分の心を、しっかりと確認していないので分からないでしょう。

自分の心が、分からない、理解できていないのです。

 所詮、人間は誰もが、{不透明な道}を歩いているのでしょう。

でも、{歩いている道}を変えた方が良いのに、どんなに助言しても<言われた道>、<助言された道>を歩こうとしないのが、また、人の常なのかも知れません。

「不透明な道」でなくて、生き様を明確にして生きましょう。

<<不透明な道>>不透明な道(4)

2011 年 6 月 22 日 水曜日

 乳児から~また、育ちます。

この間に、両親が離婚する場合も沢山とあります。

勿論、赤ちゃんとして誕生する前に、両親が離婚する場合もあります。

かなり前からですが、シングルマザ―と言う言葉もあります。

 子供が誕生した時には、片親が居ないし、また、父親だけでなくて、母親が居ない場合もあります。

子供にとって、自分が決定した道ではありませんよ。

親が、勝手に自分達の考え方と行動をとっただけです。

 

 子供にとっては、大変に辛いのですが、親は気づいてくれません。

勿論のこと、子供達は、しかじかと決められた道を知っている筈もありません。

でも、平均して、周囲の人達と同じような道を歩きたいと感じますよ。

 少し成長すると、兄弟姉妹が出来たり、また、一人として兄弟姉妹も出来なかったりする場合も有ります。

長男、長女は、下の赤ちゃんが出来れば、その時点から<やきもち>、<嫉妬>や、<妬み>などします。

親の愛が、自分からはなれて、下の赤ちゃんへと去って行くのが、非常に寂しく感じます。

 

 この兄弟姉妹の間のコンプレックスなどについては、昔から旧約聖書の中にも、同じような事柄が、「カインコンプレックス」として、述べられています。

アベルとカインの有名な話ですね!!。

兄弟姉妹が、何人できたかでも、子供間の心の葛藤は違います。

それぞれの家族によって、誰もが、家族構成も違い、親達も〈先述しましたが、名誉とか地位とか金銭とか・・・〉状況が皆が違います。

 子供達は、自ずから、当てられた道を歩くだけなのです。

結局は、<不透明な道>が与えられて、その{道}を歩くのです。

親達も、自分の歩く道を、自力で変えた自分の運命の道を歩いている訳でもありません。

親も、偶然にですが、自分達の道を歩いていると考えています。

 

 当方から、見れば、親達が決して自分で<選んだ道>を歩いているとは、思いませんね。

誕生したから、幼い時期に地上の人間の戦争に巻き込まれたり、天変地異などで、親や兄弟姉妹と離れ離れになってしまう人達も、沢山と見られますよ。

「衣」・「食」・「住」にしても、子供達の好んだものではない事が沢山であります。

この三つの、どれを見ても、自分の思う通りにはなりません。

 親も子も、みんが<不透明な道>を歩いていますが、気づきません。

自分の人生は、こんな風ではなかった、もっと違った人生が有ったなどと考えると、辛い悲しい気持ちも浮き上がってきます。

人生は、全てが不透明、<不透明な道>を歩いていますが、殆どの人達は気づいていません。       

<<不透明な道>>不透明な道(3)

2011 年 6 月 21 日 火曜日

 何故かしら、此の世に誕生してきました。

好き好んで、生まれて来た訳ではありません。

男性と女性が愛し合って、そこから、子供が生まれて来ます。

 競争率は、東京大学や世界中のエリ―ト大学へ入学するよりも入学率の倍率も高い筈ですからね。

そんな難関の道を通過して誕生していますが、そんな過去の記憶は全くありません。

人が悩む時は、そんな事実も忘却したままで、ひたすらに、自分の<不透明>な現在と未来を考え込んで悩んで生存しています。

 

 過去の事実でさえ、忘却しているのですから、また、誕生した時から、自分の親の顔も知らず<不透明>で、親の性格や人格や地位や名誉や貧乏か金持ちか、なども全く<不透明>です。

誕生したばかりの新生児には、此の世に誕生した意味も分からず、勿論、人生については全く<不透明>です。

 周囲には、どんな人達が居るのかも分かりません。

自分の周りの世界の全部が、<不透明>です。

乳児になって、少しずつですが、誰かの顔を少しずつ記憶していくでしょう。

その顔が、本当の自分の親か、自分の親でなくて、自分の遺伝子と関係ない親なのか、絶対に知る筈もありません。

 

 まして、昨今では、夫婦の間で赤ちゃんが出来ないからと、他人の遺伝子を借りて赤ちゃんを作る場合もありますからね。

赤ちゃん、子供にとっては、親が話してくれない限り、絶対に分からないでしょう。

 子供が成長して大人になって、何となく親や周囲の状況から違和感を感じて、時に、自分で血液型や遺伝子などを調べないと、<不透明>ですね。

大人になって、自分で頭を働かせて調べてみないと、自分の存在が何処から来たのか不明、<不透明>なのです。

赤ちゃんの誕生、動物も植物も究極的には同じかも知れません。

 

 昔から有る言葉ですが、「人間に生まれて来たのは、有り難し」、「今、生きているのは、有り難し」などと言う言葉があります。

人間として生まれたことが、不思議だ、不思議だと言うのです。

今、生きているのが、不思議だと言うのです。

 そう、人間でなくても、どんな動物か植物に生まれて来ても不思議でもないだろうし、これが<不思議>で、<不透明>でもあります。

赤ちゃんでお乳を頂くのも、誰からか、母親からか、人造ミルクか、たまたまの出来事で不確定、<不透明>ですからね。

赤ちゃんは、誰からお乳を貰って育つのでしょう。