‘投書’ カテゴリーのアーカイブ

<<投書>>{投書・続2}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

 「あなたの存在観を、描いてください。」  何も・・・描くことができなかった。

 私は一週間、心の病を治すため、治療をした。

それは簡単ものではなく、逃げ出したくなるほど辛いものだった

でも最終的に私に残ったものは、苦しみでも悲しみでもなく、今までに感じたことのない、大きな大きな感謝の気持ちだった。

家がある、部屋がある、ご飯がある、服がある、学校へ行ける、友達がいる、親がいる、そして今ここに私が生きている。

その他たくさんの「当たり前」が決して当たり前でないことを、心の底から知った。

そのどれもが、本当に奇跡だと思った。

私の大切な人達が生きてくれているだけでも十分に幸せなことだ。

なのに、私はどれだけのことを、してきてもらっただろう。

また、私はその人達に何をしてきただろう。

誕生日に、「生んでくれてありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。」と、思ったこと、言ったことが、一度だってあっただろうか・・・。

「ありがとう。」なんて、言葉を覚えた子供にだって、簡単に言える。

でも、「ありがとう。」という言葉を理解し、心からそう感じて伝えることは、想像以上に難しいことなのだ。

「いつもありがとう。」というたった八文字の言葉の「本当の意味」を理解し、それを伝えるまで、何故十五年もの月日がかかったのか。

それを理解したその時、私の目から、大量の涙が止まることなく溢れ続けていた。

ただひたすらに、「ごめんなさい。」と「ありがとう。」を繰り返し繰り返し、声にならない声で泣きわめいていた。

 私には、どうしても整理のつかない問題が残っていた。

実の両親のことだ。

子供の素直な意見としては、やっぱり両親には仲良くしていて欲しい。

どんなに幼く、言葉が分からなくても、子供はとても敏感に両親の感情を察知する。

でも、子供だって成長していく。

子供ながらに大人の事情を、嫌でも理解していかなければならないのだ。

私の両親はお互いに嫌いあっている。

少なくとも、子供である私にはそう見えるからだ。

子供は決してどちらの方が好きだとかはないと私は思う。

両親共に私は素晴らしいな、と思うが、お互いダメなところ、嫌いなところしか見ていない、・・・というか見ることしかできない。

考え方を少し変えれば・・・と子供は不思議に思うが、大人はそう簡単に上手くはいかないのだと知った。

誰にだって許すことのできない人はいる。

両親には仲よくして欲しいけど、そんな我がままを言っていられない。

私は治療する中で、やっとこの問題を自分で解決することができた。

<<投書>>{投書・続1}

2010 年 2 月 5 日 金曜日

妹が産まれてからはなおさらで、自分は家族にはいらない人間だと、ずっと思っていた。慣れとは本当に怖いもので、いつしか部屋にとじこもることが普通だった。

誰からも愛されていない、もう死のう。そんなことを考えていた中一のとき、私は産みの母親と再会した。

立派に育ってくれて、ありがとうと、涙を流す母を見て、自分は何てことをしようとしていたのだろうと、自分を恥じた。

私を愛してくれる人がいる。

ただそれだけで、人は生きることができる。

私はそう学んだ。

でも、死のうと思うことがなくなっただけで、あとの生活になんら変わりなんてなかった。

しょっちゅう母に反抗していたし、ケンカもたくさんした。

私は悪くない。周りがおかしいと、本気で思っていた。

自分が内側からどんどんくずれていくことに、気付かず・・・。

つまらない毎日から逃げるように、私は自分を傷付けていった。

冷静に物事を考えることが、もはやできなくなっていた。

そんな状態になる程、私はギリギリを生きていた。

 自分は間違っていない。

変わらないのなら、もういいじゃないかと諦めていた。

放っておいて欲しい。

それが私の一番の願いだった。

ただ自由に生きていきたかった。

どうせ、何の価値もない人生なのだから・・・と。

 しかし、そうではなかった。

自分を傷付けたとき、私の周囲の人達は、本気で私を怒った。

本気で私を心配した。

同時に、本気で私を愛してくれていると知った。

自分を傷つけることで、周りも傷つくということを、私は知らなかった。

私には、何もかもをひっくり返す程の価値があるのだと、知った。

私が一番私を大切にしなければいけないのに、私が常に私を苦しめていた。

幸せになりたいと言いながら、自分で幸せを逃がし続けていたのだ。

それに気付いた、その瞬間に、私の中に私が存在していないことに気付いた。

 

<<所長より>> 今回は、上記まででした。

また、この次を(閲覧文)として、掲載していきます。

皆様方には、「心理療法」の大変に凄い{{世界}}が、理解できて来るでしょう。

日本人って、案外と自分の{{心}}について知っていないし理解できていません。

自分の{{心}}の世界を知る事で、人生が気楽になる事が分かるでしょう。

絶対に、間違いありません、ね。

次回を、期待しておいて下さいませ。     

<<投書>>{投書}

2010 年 2 月 5 日 金曜日

中学三年、初夏。私は、自分を見失った。

いや、もともと私の中に、はっきりとした私はいなかっただろうと思う。

自分とは何か。

当時の私は、いくら考えても答えのでないこの問いを、何度繰り返し考えただろうか。

考えれば考えるほど、自分が暗闇に消えていくように感じた。

精神の不安定さは、私の身体にも苦しみを与え続けた。

下がらない熱や、目の前が急に真っ暗になる程の立ちくらみ。

そして、何よりも辛かったのが拒食だった。

 私のはっきりとした病名は分からない。

しかし少なからず、私は心の病だった。

私の心の病は、急になったものでなく、幼い頃からの病を私が認めた、というものだった。

心の奥底では、気付いていたのかも知れない。

ただ、認めることがとてつもなく怖く、私は私の上に私をつくり、本来の自分を長い間隠し続けていた。

 平成六年七月。私はこの世に生まれた。

生まれてこなければよかったと、何度も何度も自分を攻めた。

私に母は、若かった。私が生まれたとき、母は二十一歳の若さだった。

全て若さのせいにするわけではないけれど、若さゆえの過ちだと、私は信じている。

一番母親を必要とする六歳のとき、私は母と離れた。

どんなに周囲が母を悪く言おうが、関係ない。

私は一度だって、一秒だって、母を嫌ったことなどないし、周りから母の悪口を聞かされても、私の中の母は、いつだって精一杯の愛情をくれていた。

今から約六年後に、私は母の様に、わが子を産み、育てることができるのだろうか。

そう考えると、母はすごいなと、つくづく思う。

そんな母の娘であることを、私はとても誇りに思っている。

産んでくれて、育ててくれて、愛してくれてありがとうと、心からそう思う。

 そして私が九歳のとき、今の母親と出会った。

今思うと、私は相当愛に飢えていたのだろう。

誰かに甘えたくてしょうがなかった。

今の母親が来て約一年間、私は好き勝手に母親に甘えた。

しかし一年をすぎると、母親は急に冷たくなった。

理由がわからなくて、何度も泣いたことを、すごく覚えている。

何故私は母親という存在に恵まれないのだろう。

そう考えだすと、涙が止まらなかった。

悲しみは段々と怒りに変わり、好きで好きでたまらなかった母親が、世界一嫌いな人間になっていた。

どうすることも出来なくて、いっそのこと死んでしまいたいとも思った。

本当に辛かった。

<<投書>>続編(3頁目)

2010 年 1 月 30 日 土曜日

辛いと思っている人は、今は辛いかも知れないけれど、いつか必ず、今を普通に幸せにすごしている人よりもはるかに大きな幸せと、それ以上のものを得る事ができます。

このことを、今辛く生きている人々に、一人でも多くの人に分かってもらいたいです。

止まない雨はないし朝のこない夜はない。不幸の分だけ、未来にはたくさんの幸せがまっているのです。

このことは人に教えてもらったのではありません。

答えは自らの中にあり。内観初日、言われた言葉が本当になったと思いました。

 私をここまで変えてくれた内観、そして先生方、内観させてくれた両親、心配してくれる祖母、私を産んでくれた母親、私が生まれてから、私に関わった全ての方々に、心から感謝します。

 本当にありがとうございます。

 

以上は、当所での心理療法終了直後の感想でした。

当方で、悩み悩み、来訪された少女の心理療法終了後の感想文ですね。

ブログの中に入れさせていただきました。

人間の性格・心・人格、なんて変わるものです。

自分の人生を歩いていくのに自分で自分の人生を決定する事しかありません。

 

普段の人間の生き様の状況から、触れてみます。

誰も自分の考え方が、一番に正しいと考えて生きています、ね。

だから、当方の眼前で{{悩み、苦しむ人達}}に現在の自分の{{心}}で、自分の悩み苦しみを消し去るのは困難だと何時も伝えています。

今回も、当方へ来所された理由は、家族全体で{{如何とも出来ずに、考えられた結果で「心理療法」を選ばれたようです。

投稿された本人も、自分の前に、お母さんとお婆ちゃんが「心理療法」を受けておられたので、本人にも「心理療法」に対する特別の<<嫌な気分とか心の葛藤>>は持たずにすんだようです。

当方が皆様には、何時も伝えているところですが、悩める当人よりも、親とか兄弟とか祖父母とか、廻りの人達が先に「心理療法」を体験しておくのが最良のようです。

ケースバイケースです。

御本人だけで、全く十分の場合もあります。

ですが、あまりにも沢山のストレスを抱えていて{{心}}の弱い人達の場合では、矢張り、廻りの人達が先に体験しておけば、悩める人が「心理療法」を受けても<<安心して>>帰って来るまで待っておれるでしょう。

今回の投書は、家族の皆様が<<お役に立てば>>との事でした。

<<投書>>続編(2頁目)

2010 年 1 月 29 日 金曜日

私が内観をして変ったこと。それは、感謝するようになったことです。今までも口では感謝、感謝と言っていたけど、心の底では、何が感謝だ、当たり前だろうと思っていました。

でも、当たり前でないことに気付いたのです。家があること、ご飯があること、親がいること、そして今ここに私がいることは、当たり前の様で全て当たり前ではないのだと、心から気付いた時、感謝の気持ち、ごめんなさいと思う気持ち、言葉では表せないたくさんの気持ちが、大量の涙とともに、私から溢れました。本当に、奇跡だなと、思いました。

 誕生日に一度だって、うんでくれてありがとうと伝えただろうか。卒業式に、ここまで育ててくれてありがとうと伝えただろうか。いつもありがとうと、たったこれだけの言葉の本当の意味を、理解するのになぜ十五年の月日がかかったか。それを理解できずに、授けられた命を、自分でたとうとしてしまった。反抗、嘘、盗み・・・。

 自分は今まで何をしてきたのか。自分が一番辛いのだと、どれ程信じ続けてきたのか。親がどれだけたくさん苦労をしてきて、どれほど私を想ってくれ、心配してくれていたのかを知って、生まれてはじめて、心から親にありがとうと、ごめんねを、思いました。

孤独、というものなんて、私には、ひとつもなかった。私が孤独を作っていたということを、はじめて思いました。

十五年分のありがとうとごめんねの気持ちをこめて、これからは、じまんの娘だと、親に見送られ、必ず恩返しをしたいと、強く心に刻みました。

 

私が内観をしてもうひとつ、得た大きなものがあります。        将来の夢です。内観をして私は、見失っていた自分を見つけました。 そしてその自分をかたく離さないための夢もまた、見つけることができたのです。私は経験、自分の好きなこと、得意とすること、それらをトータルし、カウンセラーになりたいと、自分の本当になりたいものを見つけました。私はずっと、自分のなりたいものをさがし求めてきました。でもそれらは自分のすきなこと、理想にすぎないもので、イマイチ納得できませんでした。

でもここへ内観しに来て、自分が心の病から治ると、同じように悩む人々を救いたい、助けたいと思う気持ちがごく自然に芽生えました。そして、それが自分の求めていたものと一致したとき、本当にここへ来て良かったと思いました。

辛い時、話を聞いてくれる人がいるのといないのでは天と地の差があることを、私は経験上痛いほど知っています。

経験のある人にしか分からない、分かりにくい気持ちもあります。

経験した辛いこと、それを乗り越えることができた時の、喜び。それらを最大に生かせるものを、私は見つけることができ、本当に嬉しく思います。私は人よりも辛く、悲しいことを経験してきました。普通ならならない様な感情にも、なってきました。人を恨みました。悪いこともしました。けれど、私が今、手にしているものは、かけがえのない、世界でたった一人だけ、私だけしか持つことのできない財産なのです。